山県大弐という人 山縣神社
山県大弐という人『甲州街道』中西慶爾氏著 昭和47年 木耳社 一部加筆 甲府めぐりをひとまず切りあげて、甲州街道の残る部分を踏破しようと旅立つと、まず浮んでくるのは柳荘山県大弐のことである。...
View Article信玄堤 神々の逃走、神明社
信玄堤 神々の逃走、神明社『甲州街道』中西慶爾氏著 昭和47年 木耳社 一部加筆 信玄堤の長いながい雑木林が、信玄橋のたもとあたりで平野と接する境目に神明社がある。一宮浅間神社のお輿がやってくる由緒ある古社で、神宝にも珍らしいものがあるはずだが、社宝はいつの間にか何処かへ流散し。かんじんの御神様がこれまた何処かへ逃走してしまった。...
View Article韮崎の津渡 川舟 岩屋観音
韮崎の津渡『甲州街道』中西慶爾氏著 昭和47年 木耳社 一部加筆 たびたび訪ねていると、ある時には、山県神社の神主さまが、韮崎まで車で運んでくれたりした。下今井などの旧街道を通らず、国道二十号線を突っ走ったのは遺憾であったが、そう勝手なことはいえない。川舟、「下げ米、上げ塩」...
View Article武田氏始祖の寺 願成寺
武田氏始祖の寺 願成寺『甲州街道』中西慶爾氏著 昭和47年 木耳社 一部加筆 甲州街道は韮崎を串刺しにして、相変らず釜無川の左岸を北上するが、一応ここで武田橋を渡って、右岸へ出てみることにする。其処にはやや広い平野が続いていて、武田氏関係の数々の遺跡が多い。 ちょっとした丘へ登るような気持で、ゆるい段々畑の道を行くと、例の葷酒山門に入る事を禁ずる石標があって、願成寺である。...
View Article井戸掘り名人「ユズ」やん 北杜市明野町
井戸掘り名人「ユズ」やん 北杜市明野町『水と先人の知恵』ふるさと明野をつづるシリーズ 「第一巻暮らしと水」平成10年刊 一部加筆 明野村原地内に、いつ頃から住みついたのかはっきりと覚えている人はいないが、「ユズ」やんという井戸掘りの名人がいた。...
View Article北杜市明野町昔の話 浅尾の湯の話
北杜市明野町 浅尾の湯の話 『水と先人の知恵』ふるさと明野をつづるシリーズ 「第一巻暮らしと水」平成10年刊 一部加筆 昭和四一年発行の国土地理院の五万分の一地図の「韮崎」を広げると、浅尾と表示されている五ミリくらい下に、温泉マークがあった。当時の地図は、横書き文字は右から左へと表示されていた。...
View Article甲斐に流された後陽成帝の皇子
甲斐に流された後陽成帝の皇子資料『街道物語16 甲州街道』三昧社 ほか門跡と島原遊女の恋第百七代後陽成天皇の第八皇子に生まれ、京都智恩院の門跡となった二品宮長純親王くらい、自由に生きられた皇族はめずらしい。京で浮名を流し、ために甲府に配流されたのであった。門跡の栄誉を投げ打って...
View Article不幸な誤解をされる篤学の文治官僚 柳沢出羽守吉保
不幸な誤解をされる篤学の文治官僚 柳沢出羽守吉保『街道物語16 甲州街道』三昧社<参考資料>江戸時代の出世頭は五代将軍綱吉の側用人柳沢吉保であろう。史上でも巷間でも悪評高い人だが、その実像は忠臣蔵の吉良上野介同様、ゆがめられ、作られた点が多いのである。驚くべき出世ぶり...
View Article甲州方言 レッスン1 あんねんあだあだしてえ
おごっそうのつもりだったかもしれんけんど、あじもそっぺもなかった。ご馳走のつもりだったのかも知れないけれど、余りおいしくなかった あんねんあだあだしてえて、しごとになるずらか、しゅうとめがつええから、よめさんもあだじやねえなああんなに真剣みがなくて、仕事が出来るだろうか、姑が強情だから、嫁さんも大変だなあ えれえあっても、あたまっぱりにしてみりやあこれっぽっちか...
View Article甲州方言レッスン2 さあ、ぼっぼついけっちゃでよばあれてけえるか
あわてまくってこんなあめんなか、どけえいくだいひどくあわててこの様な雨の中、どこへゆくのかね わけえうちからためてえたから、いまじやああんきごしょうらくだ若い時から貯めておいたので、今では死ぬまで安心して楽ができるよ おばやんがえれえあんべえがわりいそうで、しんぺえでごいすねおばあさんが大変具合が悪いそうで、心配ですね...
View Article甲州方言レッスン3
しやらっくやしいから、もらったもんはいじっくいにぶちゃあった本当に口惜しいから、貰った物はむりやり捨ててしまった もろこしょういしようすでひいて、おやきのおやつをこせえたよもろこしを石臼で挽いて、おやきのおやつをつくったよ いじれってえだ、せっかくきただに、るすでようがたらん気が落着かないた、せっかく来たのに、留守で用が果たせない...
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