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Channel: 北杜市ふるさと歴史文学資料館 山口素堂資料室
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武田氏始祖の寺 願成寺

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武田氏始祖の寺 願成寺

『甲州街道』中西慶爾氏著 昭和47年 木耳社 一部加筆
 
 甲州街道は韮崎を串刺しにして、相変らず釜無川の左岸を北上するが、一応ここで武田橋を渡って、右岸へ出てみることにする。其処にはやや広い平野が続いていて、武田氏関係の数々の遺跡が多い。
 ちょっとした丘へ登るような気持で、ゆるい段々畑の道を行くと、例の葷酒山門に入る事を禁ずる石標があって、願成寺である。
 大黒夫人が丁寧に応対してくれたが、和尚は急ぎの要事があるらしく、「一寸失礼」といったなり出て来ず、時々障子越しに話に口を挾む。これもまた一興だ。
鳳凰山願成寺は、武田家の始祖信義の開基と寺といわれる古刹で、武田氏にとっては大事なお寺であるが、たびたび回禄の厄にあって、古文書什器などの多くをとどめない。しかしさすがに御本尊さまだけは無事息災で、今は別棟の鉄筋コンクリート建築の阿弥陀堂に、もう安心といった顔で納まっておられる。
 この中尊阿弥陀如来は、藤原末期鎌倉初期の制作と推定されるもので、木彫漆箔像、上品下生印を結び、二重敷茄子八角九重の台座に坐っている。定朝系に属するものだという。重文に指定されている。
 大きな鍵をガチャガチャいわせて、扉を締める大黒夫人の後姿には風情があった。本堂前にはリヤカーがあって農具を積み重ね、いつでも畑へ出動できるような構えである。このあたりには田畑が多い。
 その近くの畑中に武田信義の墓がある。これについては先に書いた。それからややうんざりするほど野良路をたどって、徳島堰を横切って行くと、武田八幡宮の前へ出る。これについても先に書いた。参道左手の矢崎鎌次郎家に寄って、勝頼夫人の願文を拝見したり、古いお話を承ったりする。同家は今改築の真ッ最中で、数日後のお祭りをひかえて戦場のようないそがしさだ。郷土史に明るい内藤大丈夫氏を二度訪ねたが、二度とも留守。
 ここの領主の武田信義の館跡は、武田部落の東のはて、釜無川に臨んだ台地の上にあったという。今は何の跡形もないが、お屋敷・お旗部屋・神酒部屋・お庭・的場・お堀・金精水・具足沢などという地名は今に残っている。台地下の道は西街道といって、駿河から信濃へ通ずる古い道である。
 このほか、わに塚・白山城跡などというもある。日永の春の一日、このあたりを悠々とほっつき歩いたら、さぞ愉しいことだろう。古い農家の土蔵の白壁に、春の陽が一ばい酒色に澱んで、そこに梅の古木の影が描き出されて、その上の方に武田菱の紋がついていたりする。

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