台ヶ原の古い酒造家
『甲州街道』中西慶爾氏著 昭和47年 木耳社 一部加筆
台ヶ原は古い家並の続くゆるい坂の町だ。大分傷んでいるが、梅並木がところどころかたえにあって、風情をそえている。古い家並のうちに、一際目だった大きな構えの、寛延三年(一七五〇)創業という古い酒造家かおる。誰しも一応は目をそばだてる豪壮な佇まいである。店の前に例の四角柱碑が立っていて、明治十三年(一八八〇)六月二十二目、明治天皇巡幸の際、ここに一泊したことを示している。当時の店主は北原延世といった。御付きの文学御用掛池原香穉は別に山田伝右衛門の家に泊ったが、蚊帳をつらないでも蚊の出なかったことを嬉しがっている。天皇は北原家で「七賢」という甜酒をたんまり賞美して、のびのびと熟睡したに相違ない。その部屋は今も大事に保存されている。
玩籍・嵆康など造反派酒徒のことを思えば大伴旅人の
「……ななのかしこき人達も欲りせしものは酒にしあるらし」
の歌を引き合いに出すまでもなく、「七賢」とはいみじくも名付けたものと感嘆する。これはこの酒造家の看板娘である。
軒下にでっかい杉玉が掲げてある。俗称は杉玉だが、正式には酒林という。しかし。余り使用例が少なく、単に「杉」といった方が昔は通用したらしい。
十二月末ごろに新酒が熟れると、天下の酒徒はぞくぞくとこの酒林のもとに集まって来る。この場合の杉の香は如何にも魅惑的で、酒徒の気持はいやが上にも弾んだことであろう。徳川時代の戯作などに「杉を訪ねて酒を飲む」などと時々見掛ける。
天井のがっしり組んだ木組の一本の柱に「火之用心」とある文字は立派である。うまいというではないが、筆太の堂々たる恰幅で、貫禄十分、武将の風格がある。板目がほどよく現れて、さらに趣きを加えているのは年功というものである。