信虎退隠についての甲斐諸書の記述
信虎退隠についての甲斐諸書の記述 1、『王代記』(窪八幡神社記) 武田信虎六月十四日駿州へ御出、十七日巳刻晴信屋形へ御移、一国平均安全ニ成。 『勝山記』此年六月十四日ニ武田大夫殿様、親父信虎を駿河へ推越申候、余リ悪行ヲ被成ヲ候間、加様被食候、去程ニ地下・侍・出家・男女共、喜致満足候事無限、信虎出家被成候而、駿河ニ御座候。 2、『妙法寺記』...
View Article山本勘助の生みの親、「甲陽軍艦」 勘助関連文書には偽書が多い
勘助の生みの親、「甲陽軍艦」 「甲陽軍艦」は書いたのは春日惣二郎勘助の人気は既に江戸時代にできていた。それが明確になるのは浮世絵や武者絵に錦絵に描かれた勘助像が信玄や他の大物戦国武将より群を抜いて多い。インターネットで調べてみてもその数は50点をこえる画像が確認できる。特に歌舞伎役者が演じた勘助は戦国絵巻の形相はなく、信玄を慕う男妾の風体さえ感じる。...
View Article江戸時代に語られていた武田信玄と甲斐武将江戸の人々に話しつがれた甲斐武将
江戸時代に語られていた武田信玄と甲斐武将江戸の人々に話しつがれた甲斐武将『日本随筆大系』四十三巻より ○内は巻数 一、兼信秘蔵の太刀 煙霞綺談(西村白鳥)...
View Article苗字の発祥 (あの部)
苗字の発祥 青木氏(甲斐青木氏)地名としては和名抄に筑前国下座郡、筑後国三瀦郡に青木郷あり、そのほか全国に多い。清和源氏武田氏の一族で甲斐国巨摩郡青木村から起った青木氏と武蔵七党丹党の武蔵国入間郡青木村の青木氏、美濃国安八郡青木村より起った藤原氏の流れでは摂津麻田藩主の青木氏が有名である。ほか藤原秀郷の流れで下野国佐野流の青木氏、岩代・磐城・下総・三河・越後・豊前・因幡の青木氏が見られる。苗字の発祥...
View Article柳沢吉保、日本経済事情 総理の月給四億円
柳沢吉保、日本経済事情 総理の月給四億円大老柳沢吉保の場合山口博氏著(富山大学教授)一部加筆 金力による占いと禊(みそぎ) 昭和が平成になっても、80年代から90年代に変わっても、動かなかった山が動いても、日本人の政治感覚はあんまり変わらないらしい。一カ月前の総選挙の候補者の言動は、近代以前そのものだ。曰く「90年代を占う選挙」、曰く「みそぎの選挙」。そして土下座。...
View Article武田武将 春日弾正忠 附「甲陽軍鑑」は佐渡で書かれた。
春日弾正忠(諸記録名為ニ昌信者多シ、又作ニ昌宣晴昌編年集成ニ晴久トス、紀州高野成慶院所蔵元亀二年(1571)三月九日山県三郎兵衛昌景、高坂弾正忠虎綱連署ノ花押書アリ、荻生茂卿(荻生徂徠)ガ可成談ニモ載之、烈祖成績等従作虎綱今以使僧所ニ写準訂之、文中殊不穏再閲ニ原本非ズンバ難採其余末見的書故ニク姑闕名記ズ)軍鑑ニ云、初メ春日源五郎トテ伊沢(石和)ノ大百姓春日大隅ノ子也、十六歳ノ時ヨリ召仕ハル(時ニ晴信...
View Article武田軍の戦力分析
武田軍の戦力分析●寄親と同心寄親には同心と称する隊員が配属される。寄親―同心(侍・足軽)生島足島神社起請文起請文の分類○単独署名―五十九通○連署名<衆>・武河衆(甲斐)・南牧衆・高山衆(上野)・海野衆・野沢衆・北方衆・山中衆(信濃)○親類・被官・小山田被官(甲斐)・小幡親類中(上野)・仁科親類被官・小笠原下総守被官・海野被官・青柳被官・浦野被官(信濃)--解説--*「信玄家法」に、「故なくして寄親を...
View Article北杜市ふるさと資料館 武川町
北杜市ふるさと資料館 武川町・昭和初期 武川町山高神代桜・北杜市の先人 武川町 斉木天明(逸造)・『峡中紀行』 荻生徂徠 田中省吾 餓鬼嗌に迫る・柳沢吉保、家臣を武川へ 峡中紀行風流使者記 柳沢・柳沢吉保、家臣を武川へ 峡中紀行風流使者記 餓鬼嗌・柳沢吉保、家臣を武川へ 峡中紀行風流使者記 武川・柳沢吉保、家臣を武川へ 峡中紀行風流使者記 韮崎・柳沢吉保...
View Article白州町花水 清泰寺(せいたいじ)曲淵勝左衛門(まがりぶちしょうざえもん)
白州町花水 清泰寺(せいたいじ)曲淵勝左衛門(まがりぶちしょうざえもん) 清泰寺を開いたのは、甲斐源氏の祖新羅三郎義光が大治元年に開いたと「社寺記」に記してある。 さらに同記によると開山は、当時の山梨郡積翠寺村輿因寺三世雲鷹玄俊和尚文明六年四月先宗天台退転に付き禅曹洞宗に改めた。...
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