素堂の嫡孫、素安について 素堂号の行方
素堂の嫡孫、素安について嵐雪九月十日素堂の亭にて(『廣野集』、所収)かくれ家やよめ菜の中に残る菊 嵐雪筆註この句は素堂没後の素堂号や孫の存在など重要な役割を果たすことになる。享保二十年(1735)の『毫の龝』(ふでのあき)寺町百庵著。...
View Article甲斐遊侠講座 武居の吃安
甲斐遊侠講座 武居の吃安 世紀の大脱走に成功した 甲斐侠客伝説の男 武居の吃安(どもやす) (詳細は下記の書で) 吃安は久八の世話て20人ほどの子分を連れて、 江川太郎左衛門の指揮下で反射炉をつくる作業 をやっている。 (『東海遊侠伝』) 参考資料 『流人の生活』 大隅三好氏著 雄山閣刊 『東海遊侠伝』 中沢正氏著 雄山閣刊 「ども安」の島抜け(『流人の生活』)...
View Article山梨文学講座 山本周五郎の出生地と本籍地 2
山梨文学講座 山本周五郎の出生地と本籍地 2 前編に続いての資料、著作年月日がだいぶ経過しているが、 著者の資料収集が進んでいることがわかる。 <著書紹介> 資料…… 『山本周五郎』 「新潮日本文学アルバム」 昭和59年(1984) 編者 評伝 木村久邇典 山本周五郎(本名...
View Article富士浅間明神(上吉田村)詳細
富士浅間明神(上吉田村) ○ 諏方ノ森ニアリテ除地六段八畝弐拾四歩 ○ 例祭四月初申日社主小佐野伊勢、御師八十六家 ○本殿(梁弐間五尺、桁間、高三丈六尺) 元和元年(1615)烏居土佐守、再建延宝六(戊午)年(1678)秋元摂津守、修造、後、藤原光清と云う者(江戸人)本願として再建、享保十八年(1733)造営、元文三年(1738)三月落成 ○幣殿(梁三間弐尺桁弐丈八尺)...
View Article宝永大噴火奇聞(泉昌彦氏著「伝説と怪談」より)
宝永大噴火奇聞(泉昌彦氏著「伝説と怪談」より)<昼日中提灯をつけた大噴火>二十二日、朝から富の富士山は「腹の底」にこたえるような鳴動をはじめた。「ゴロゴロゴロ」と、山鳴りのはげしくなった午後二時頃からは、二十三日の朝までに家の倒れるような地震が相ついで三十数回もおこった。この間にも軽震は絶えまなくおこり、ついにお山は火を吹き出し、樹海といわず、溶岩の隙問といわず、ボイラーのフタをとったようにはげしい...
View Article武田武将 一板垣駿河守信方
武田武将 一板垣駿河守信方『甲斐国志』巻之九十六 人物部第五 武田氏将師部 一部加筆 『甲陽軍鑑』諸記信形ニ作ル者多シ、『北越諸記』及『滋野世記』等ニ信春又信澄或為父子二人名皆非也、今武田八幡宮並ビ鎮目寺ノ棟札ヲ以テ訂定ス)...
View Article元禄十六年 江戸地震 その時江戸城は
元禄十六年 江戸地震 その時江戸城は新井白石「折たくの記」 『古典日本文学集35』「江戸随想集」古川哲史氏他著筑摩書房 昭和42年発行 一部加筆元禄十六年十一月二十二日...
View Article武田武将 多田淡路守満頼
武田武将 多田淡路守満頼(諸録誌記名雪ノシ一本満撃存ル未詳)軍鑑ニ始メハ三八、生国美濃、足軽大将四人ノ一ニシテ、武篇ノ場数二十九度ノ証文身ニ二十七創アリ、嘗テ信州虚空像山ノ砦警固ノ時、火車鬼ヲ斬リタリト、豪傑ナリ、永禄六亥年(1563)十二月病テ逝ス。多田三八信蔵...
View Article