Quantcast
Channel: 北杜市ふるさと歴史文学資料館 山口素堂資料室
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3088

江戸時代に語られていた武田信玄と甲斐武将江戸の人々に話しつがれた甲斐武将

$
0
0
江戸時代に語られていた武田信玄と甲斐武将江戸の人々に話しつがれた甲斐武将
『日本随筆大系』四十三巻より    ○内は巻数
 
一、兼信秘蔵の太刀 煙霞綺談(西村白鳥)
 兼信秘蔵の太刀三腰あり。赤小豆粥といふは三尺壹寸、鎌倉行光が作なり。川中島にて信玄と太刀打の時の太刀なりとかや。(中略)二度目の川中島夜戦に、甲州方の輪形月とかやいふ者を二太刀切付たるに、鎧かけて切先はづれに切付、あまり太刀にて輪形が持たる鉄砲に見当の上をはすに切落したるも、竹股兼光なりしとかや。云々
 
一、武田信玄 煙霞綺談(西村白鳥)
(前略)往前元亀三年春、甲州武田信玄遠州に出張し所々を攻撃し、それより三州に打越、吉田の城を襲、此時吉田の城には酒井左衛門尉忠次守り居たるが、無勢にして 難レ拒城殆危 。ときに地士林十右衛門景政といふ者あり。此者射術に達し、遠三の間に弓の弟子大勢あり。城危きによって彼弟子共大勢引き連れ、飽海口に出てふせぎ 放矢如雨脚(あめのごとし)依之甲兵隕命者居多(こうへいめいをおとすものそこぼこ)にして辟易し、信玄遂に振旅して皈甲州、(こうしゅうにかえる)次甚感喜あり。此由来を以て射術を励むと云ふ。云々
 
一、六郷の橋 柳亭筆記(柳亭種彦)
(前略)『小田原記』永禄九年武田信玄小田原に人数少なき隙をうかゞひおもひよらざる方より小田原へ押し寄せるといふ條に、「橋を焼き落として甲州勢を通さず。信玄品川の宇多河石見守鈴木等を追散して六郷の橋落ちければ池上へかゝり」とあり、この時橋を焼き捨てし事のあれば、北条家の盛りなりし頃そめしにや。云々
 
一、誰やらのはなし 八水随筆 著者未詳
予がしれる大井佐太夫殿の申せし御方、甲州の族にて、花菱を紋とす。此家に勝頼の備前徳あり。先祖の器とては是ばかりなれども、用なしとてわらはれぬ。
 
一、四家由緒 半日閑話(大田覃)
 秤師守随は武田義信後也。
 
一、曲淵勝左衛門由緒書 半日閑話(大田覃)
○高祖父勝左衛門吉景、武田信虎より勝頼迄奉公仕、甲州武川と申す谷へ住居す。天正十年勝頼生害後、先方侍扶助信長停止に候共、神君武川之者共一同に御扶助被下、忍て遠州相良辺に罷座候處、同年六月信長生害有之、甲州之国主無之、北条家より種々計策有候得共、武川之 共同心不仕、神君御進発に依て馳参、新府中御着陣之刻一同に被召出候。御出馬以前信州境小沼之小屋迄落し走廻仕候。
○北条御対陣の時、若神子口にて敵を物見可レ仕旨被仰出 、吉景並び彦助差物にて相圖仕、物見首尾能甚預 御感より、武辺之模様無比類、彦助父に不劣との蒙上意候。
 
○曾父勝左衛門正吉(始め名彦助)、父一同ニ被召出、甲州御発向之節、諏訪安芸守籠城に付、大久保七郎右衛門、柴田七九郎、武川者ども為案内被差向、即時に城際に取詰候時、安芸守使を出し、城内掃除致し明度可申旨に付、両将人数引上可申様之時正吉申候は、場所難所え城より喰留候事可有之申候得ども、武川衆を可存候哉、殊に小敵何事かあらんかと村々に引取候、案の如く城兵突出急に喰留候。武川の者取っ返し、城下音骨と申す處にて、何も敵を討取、城兵を追込、惣勢も備直し申候。
 
○天正十三年真田安房守御敵に成候節、武川の面々不レ残高名仕、一紙に御証文被レ下候。此御証文は曲淵一類折井市郎兵衛所持仕候。
  関東御入国の刻、吉景相州中村筋にて千五百拝領仕、吉景死後正吉跡式相繼可レ仕處、某事少々知行候得ども、武辺走廻に付格別に被下置 、萬貫文にも難レ替候父の武功に弟三人え分知奉レ願候處、願之通三人の弟え分知被 成下 、候。
 
正吉武州鉢形にて百五十石被レ下、関ヶ原之節走廻候仕、慶長九辰年三月御加増八十石被 下置 、都合貳百参拾石拝領仕候。大坂両御陣寄合並にて御供仕候。
昨日六日敵少々引出刻、父子別て被入精之旨令祝着候。 
彌此節走廻候専一に候。速に聞及に無相違候。
高々才覚尤候。恐々謹言。
八月七日 御諱御判 曲淵勝左衛門殿
  右之外本多彌八郎山本帯刀連盟状壹通、成瀬彦右衛門書状壹通略之。曲淵市兵衛・入戸野又兵衛
  神君武川の者共一紙に御証文被下、御納戸折井市郎兵衛所持仕書上可申候。(『萬世家譜』)
 
一、武田晴信書状  半日閑話(大田覃)    
十一月十七日        武田晴信判
天野安芸守殿 同 小四郎殿 今度宛行知行之事
 
一、
惣領御番入書付 半日閑話(大田覃)
安永五年十二月十九日
町奉行  曲淵勝次郎 甲斐守惣領
 
一、
飯富兵部、信玄へ目安を捧ぐ 半日閑話(大田覃)
飯富兵部少輔信縄は武田信玄に仕へて恩顧を蒙りしが、後に命を背て殺害せらる。飯富が信玄に捧る所の目安とて、今に相傳ふ。左に載て好古の士に示す。
 
一、
謹て申上候。山羅利源太左衛門義、去々年以来、馬場、内藤、高坂を以て御訴訟申上候通、彼源太左衛門義不届之義兎角可 申上 様も無 御座 、雖レ然者祖父より信虎様へ御奉公申上、度々盡粉骨一命も不可在 勝計 候。源太左衛門御救知の前、芦沢韮崎諏訪にても忠功為レ仕者の事に候間、一度は御免被成被下候様に、去々年より申上候。其上彼者親々某にも御対し御赦免候はゞ、忝可公存候趣申上候共御承引無 御座候。従 先祖 持来候八代郡の内早澤村、山梨郡の内岡村を被 召上 林田に被レ下候。不及是非 御意□に奉存候。
八カ年が間に某申上候事は御取揚も無御座失面目申義度々御座候、いか様の御悪みにて御座候も覚悟不レ仕、五三年は某一門の者共小過之義にも御取消被成候。御恨可 申上 義には無 御座   候得共、某数年御奉公申上候筋目にも御対し被レ成可被下儀と奉レ存候事。
 
一、
可申上儀には無 御座 候得共、信虎様駿州へ御越被成候儀も、皆拙者覚悟を以てと奉レ存候。其刻信虎様御恩賞之者共一身仕御願可申上と申候節、某晝夜到工夫 、或は遂 成敗 、或は遂追放 、或は御救官に異議なく申なし、一圓に平均仕候義、恐くは某奉公の専一にて候。其段思召忘被成まじと奉レ存候事。
 
一、
信虎様駿州へ御越被レ成候様子に付、弟惣一郎を以、色々御懇意の御書類下候。すこしは其忠をも被 思召 可被候事。
 
一、
近年老の仕合共に候間、御願被成候與力同心差上申度旨馬場以申上候得共、戦国之内御免被成間敷と御内意之旨に候間、申上候事無用と達て申に付、今に御奉公申上候事。
 一、
隣国御働之節、御先を仕り強敵と数度防戦仕候得共
、一度も総角を見せたる義無 御座 候に付士之覚悟
命を塵芥よりもて御奉公を遂申も、五度に三度は御
眼前に候間、御失念も被成間敷と奉存候。某愚案短
才之義は御存の前に候間、是非を御免被成御奉公仕
候様御下知奉仰候。是等の趣可然様に御披露頼入候
。恐惺謹言。
九月二十一日 飯富兵部信縄
進上 土屋右衛門尉殿 御披露
 
 信玄より返簡、曰
 
一、
由羅利身上之儀難申段聞届候。源太左衛門も三代の
奉公、其身こゝろばせ遠廻り無失念候。永禄元年之
秋、荻田大膳企逆意北条氏繁と申合、其信州へ働き
候跡へ氏繁を會坂口より引入、既に甲州へ可押入企
候を聞出し、右之荻田が在所井尻村へ原美濃守、多
田淡路守両人を遣し夜込に紛討果候き。荻田弟恵林
寺は近辺に隠置き、源太左衛門夜中に連出し、関東
に落し申段。目付横目之者共某に申聞候間、即時に
可遂成成敗候處、其方如レ申親より代々忠節の者たる
によって、一言之沙汰無之立置候。
去々年信濃和田を成敗の刻、依為 知音 成敗仕義を
心得、其子に早く知せ越後へ落し候事不及是非候。
重々の誤りに在レ之候間、成敗可申付 事に候得共、
其方眼前の者といひ、祖父親の忠節に対し命を助け
、坂を越させ候事、信玄裁許誤有之間敷候。
一、
信虎駿州へ遣申義、我等若輩より其方信形両人を指
図を得候事少しも無 失念 候。但し、其形対 信玄
奉公之節には、東郡にて五千貫、逸見郡にて三千貫
、都合八千貫領地を遣し、信州手に入る刻、諏訪に
も五千貫づゝ其方と信形と令 扶助候。年来奉公之一
筋は無 失念 所可被存候事。
一、
其方婿南部壹岐守、信玄にも従弟にて武道さして悪
敷仁にても無レ之といへども、分別もなく思案もな戯
者にて、其小姓の内悪口者共と同意致し、山本勘を
悪敷沙汰仕、何の役にも不立者を信玄尊敬致す様に
申なし候事。万一信玄に面目を失せ申す道理なり。
南部如レ申に小幡山城、原美濃などより勘助場数は抜
群内の者あり。雖然敵の形備上用捨善悪を知り、其
上他国の軍立万事武士道暗き事なし。是を弓箭をの
道を知る士といふ由、山城美濃も勘助を□申も道を
能知故なり。武士道の是非を知たる士を悪口仕、武
士道無穿鑿にしてまかせ過言を吐事非 武士道、左様
の国賊を家に不可レ置とおもひ追放するものなり。彼
が非は其方も能可レ存事。
 
一、
其方信州關木にて我等先を仕強働候段、慥に信玄見
届候所なり。然といへども方便強弱の心なくしては
、強敵には不勝者なりといふ事名将の掟なり。其方
先年芦沢奥の山家へ働候節□番を以て深く不可引取
かへ敵□形如是、其後は二目の合戦仕、物のよし常
に彼らによって□番の者を三度迄遣、引取り候へと
下知なすといへども、例の勘助流の臆病方便候と□
番に悪口し、指図に応ぜず深入し、喰留められ退く
事難レ成、其方備に付置候態引、鹽塚、木田、八代、
唐柏等の者共迄にて、其方も深手三カ所を負ひ、引
退候得共敵際迄したひ、半途にして身体究り候刻、
信玄が方便を以て多田淡路守、原隼人、すこやかな
る若者差添遣し脇箭を射させ、無レ恙引取候事、定て
忘有間敷事。
 
一、上之諏訪、下之諏訪と海辺にて頼重と戦ふと、
□番を以強ふ可戦、地形廣し二之手を以可勝場所な
り、軽々と会釈し、右之方へ引上候へと度々申遣候
得共、其指図にも応ぜず、強きを以て第一として、
敵の方便に乗り、追掛切崩し押行候所に、頼重思圖
に引入れ、かくし置たる二の新手を以切掛り、其方
備を急に切崩し、追討に板垣横筋違におめいて懸る
を見て、諏訪衆足並を乱し敗軍する所を、板垣が先
駆の者追懸り敵を二三百討取候。
其方は手之者七十三人、歩の者五百餘討せ、敵を六
十五人討取負軍して帰たる義失念在間敷候。右之様
子身に取ながら、信玄が方便工夫一圖に弱きと申候
よし聞候といへども、先忠に対し其上強き計りを能
と知、勝取る道を知ざる者と兼て思ひ、脇の者に諷
せて色々申聞候得共無 同心 候。依レ之信玄が軍法と
其方軍立とは格別なり。談合といふは大形似たりた
りの心にてこそ首尾する者なり。其上皆其方を一騎
合の葉武者と存るとは、何事に付ても我等同心無之
者なり。雖然上は今迄の覚悟を捨、信玄が采配を守
り、指図に応じ一命を、戦功を励まれ候はゞ、全く
非疎意候。能く可在分別者なり。委細、右衛門尉口
上申含候者なり。
      飯富兵部少輔殿
 
一、下御霊社司板垣民部談 遠碧軒記(黒川道祐)
(前略)さて社家は代々春原なり(中略)これが中絶の時に甲斐の板垣信方の子、(信方は病死、子の彌次郎者為 信玄 被レ害て跡絶ゆ)同彌次郎が遣腹の子が、母とも京に流れ落て後は丹波に閑居す。この子成長して南禅寺の少林寺へ遣し、出家して正寅と云。これを室町より肝煎してをとして社司とす。これが中比の社僧寿閑の親なり。云々
 
一、馬場三郎兵衛  閑憲瑣談(佐々木高貞)
(前略)實は本国は三州、生国は甲斐にて、即ち物奉行馬場美濃守が妾腹の末子、幼名三郎次と申す者にて候、領主(信玄)逝去の後、世継ぎ(勝頼)は強勇の無道人、其上、大炒、長閑の両奸人、国の政道を乱し、諸氏一統疎み果候始末は、甲陽軍艦に書記したる十双倍に御座候。
されば□(長篠)の合戦の節も、先主以来の侍大将ども、彼是の諫言を一向用られず、美濃守を始めとして覚えの者ども大勢討死。夫より段々備えも違ひ、終には世継も滅亡致され、其頃私は十歳未満の幼少故に、兄にかゝり罷在候へども、甲州の住居も難叶、信州に母方の由緒有之故、玉本翫助が末子、八幡上総が甥等申合 、三人ともに、信州に引込、往々は中国へ罷出、似合敷奉公をも仕らんと、年月を送り候所へに不慮難波鎌倉鉾楯にて、難波籠城是天の与えと手筋を以て間も無く城中へ召出され、千邑繁成が組与力となり、云々
 
一、武野紹鴎 鳴呼矣草(田宮仲宜) 
武田印旛守仲村は、武田信光の裔なり。退隠して武野紹鴎と云へり。家宅は戎の社に隣し故、大黒庵と自称す。其滑藝見つべし。
 
一、奇人(かたわ)齋諧俗談(大朏東華)
相傳へて云、甲斐の武田信玄の家臣山形三郎兵衛は兎唇なり。山本勘助といふ人は眇なり。云々
 
一、孫子旗 昆陽漫談(青木昆陽) 
甲州萩原村雲峯寺に、武田信玄の孫子の旗あり。その旗左の如し。孫子の旗長さ壹丈壹尺六寸、幅二尺三寸。疾如風。徐如林。侵掠如火。不動如山。と云ふ文字ありて、紺地文字金銀なり。                    
諏訪法性の旗、長さ壹丈三尺五寸、幅尺五寸、南無諏訪南宮法性上下大明神の文字あり。赤地文金銀なり。日丸花菱の旗もあり。赤地。紋黒。
 
一、賜一字  昆陽漫談(青木昆陽)
先年甲州よ出だせる書に、一字を賜ふときの書あり。
其文左の如く。
   實名          君好 
  天正四年丙子七月六日 信君 判
 これは武田信君と云へり。
 
一、武田番匠 秉穂録(岡田挺之)
通志に、今之庸俗以ク船輸善揄材。凡古屋壮麗ナル者、皆曰魯船造ルト殊不知、船為 何代之人 と、此士にも、飛騨の工、武田番匠が建たるといふ事多し。似たる事なり。
 
一、悪瘡解  嘉良喜随筆(山口幸充)
 (前略)
右論弁甲斐国小笠原住人大醫法眼柿本之述作也、門弟親聴謹書 諸冊後 。
 
 
一、近衛殿姫甲府へ御祝言の道具の内、嘉良喜随筆(山口幸充) 
衣架、机帳、鏡、二階棚、二階、火取、□(ハンサウ)、香辛、硯、料紙箱、筆持セ、亂箱モ木地、見臺(各説明、図有り)近衛殿姫君、甲府ヘ婚礼ノ時、品川ヘ御着ト、公方ヨリ乗物並傘ヲ遣サル。江戸入ノ時、右ノ傘ヲ乗物ノ上ニサシカクル。云々
 
一、穴山梅雪 嘉良喜随筆(山口幸充)
(前略)扨穴山梅雪ハ、勝頼ヲ叛テ家康公ヘ與シ、甲府ヘノ手引ヲセント云、夫ヨヲ信長御聞、穴山ガ分ニテ無 覚束 トテ承引ナシ。モハヤ甲府ヘハ不レ被レ帰シテ、家康公ヲタノミツキ従ヒ、堺ヨリ牧方迄御出、横ニ御キレ、八幡ノ南海道ヘ御通ノ時、穴山コト家康公ヲ疑ヒ殺サンカト思ヒ、跡ニ下ル時ニ、庄屋モ子ヲ案内ニツルル。此子銀ツバヲサス。関東者ニテムゴキ者ドモニテ、穴山ガ下人是ヲ殺シテ鍔ヲトレリ。此子供ノデツチアリテ、主ヲ殺タヲミテ、イバラグロヲクゝリテ家ニ帰リ是ヲ告グ。一在所一揆ヲ起シテ穴山ヲ殺ス。此内ニ家康公ハ、ハヤ草内ノ渡ヲ御越也。此渡ヲ御越ナクバ、家康公モ危カラント也。
 
一、甲州判  嘉良喜随筆(山口幸充) 
扨甲州判ト云ハ、関東ハ古ヨリ金子ノトリカヒナリ、上古ハスナガネニテ、交易、コレヲ砂金ト云、信玄ノ時領内ニハ甲州判ト云ヲ拵ユ。云、是ハ金ヲ銀子ノ豆板ノ如ニシテ、二部三分一匁二匁マデ段々アリ。其後家康公駿河州判ニ御座ノ時、今ノ一歩出来テ、甲州判は止ヌ。
 
一、覚、南部先祖 嘉良喜随筆(山口幸充)
南部先祖ハ皇孫にて人王五十六代清和天皇より始まり、其苗裔新羅三郎義光、其子刑部三郎義清、甲州に居住仕、家名武田與申候。其子清光、其次男加々美次郎遠光、其子三郎光行、或は信濃三郎共申候。是当家之先祖に御座候。
一光行事、甲州巨摩郡知行仕。同郡南部に居住仕候故、家名を南部と申候。一文治年中奥州合戦之時、光行軍功御座候に付、従 右大将頼朝 、奥州之内糠部以下之数郡恩賞に被レ行、依レ之甲州より下向仕候。当年迄五百五十餘年代々領知仕候。一家幕紋割菱に御座候。其後鶴之吉端之故有之、双鶴之紋用申候。
一光行より当時修理大夫迄三十三代にて、代々血脈を以系統相続仕候。右の通御座候。先祖より代々持傳候系図、数百年之事に御座候得ば、殊之外虫ばみ、文章難 見合 御座候に付、今度書替仕度奉レ座候。云々
 
一、新羅義光 烹雑の記(滝沢馬琴)
鳥羽天皇の天仁元年戊子春二月、源ノ朝臣義綱を、佐渡国へ流す。舎弟義光に誣(しひ)られ、無実の罪を得たればなり。
 
 
一、信玄碁石金 茅窓漫録(茅原定)
(前略)甲州には信玄碁石金といふあり。一分金は碁石金に傚にやあるべし云々。〔割注〕碁石金は甲陽軍艦に出たり。圖録に露金を出し、此ノ類なるべしといへり。圓形なり。
 
一、いぐち  一話一言(大田南畝) 
缺唇に勇士ありといふ事をかたる人の曰、(中略)武田信玄に山懸三郎兵衛昌景(中略)いぐちなり、いつれも大剛の士也。
 
 一、三駿河 一話一言(大田南畝)
越後上杉謙信家老宇佐美駿河守定行、武田信玄内加藤駿河守、安芸毛利輝光臣吉井駿河守元春是三人也。
 
一、仁科五郎 一話一言(大田南畝)
天正十年二月穴山梅雪逆心に付勝頼も諏訪を引取織田城介信忠卿は仁科五郎信盛の籠候高遠の城へ御取詰奥沼原に御馬を取立使僧を以て仁科五郎降参仕候へ其子細は武田家人大半逆心仕候間勝頼滅亡近日に候各誰が為に城を持候はん哉早々降参尤と被仰遣仁科五郎小山田備中則御使僧の耳鼻をそぎ追返し一戦可仕旨返事也城介殿御せき候て高遠城を一時攻に攻取玉ふ小山田備中切て出城介殿を目がけ討取んと数度仕候へども不叶引て仁科五郎と備中守渡辺金太夫春日河内守原隼人金福又左衛門諏訪庄右衛門以下十八人大広間に取籠り死狂に相戦中にも年頃三十五六なる女房緋威の具足に長刀を抜て水車に廻し諏訪庄左衛門が妻と名乗て七八人なぎたほし其後自害する大広間は七間に十二間の家なり是に取籠り候故寄手も攻あぐむ城介信忠は浅黄金襴の母衣かけ玉ひ広間の前の塀に御上り候塀に沿て桐の木あるに取付ざいをふり身をもんで御下知被成遂に仁科五郎小山田備中せい盡て自害する高遠落城の四日目に見物せし人は被語候は彼大広間天井も柱も鑓跡太刀跡さては血に染り明所なし庭に残雪ありしが血かゝり紫雪になりたり地下人ども掃除に来りて居る其者ども申候は是なる塀の上に城介殿御上り左の御手にて此木とらへざいを御取被成候小山田備中も仁科五郎殿も城介殿を見しり七八度も切てかゝり候其時太刀跡鑓跡にて候いふ城介殿御取付候桐の木にひしと疵あり扨広間に二間の大床あり張付のから紙あり血腸なげ付指の跡四筋血にて一尺計も引て見ゆる地下人に尋候へば大将仁科五郎殿此床に上り自害腸を抓んてから紙へ打付手を御拭候其指の跡と申候仁科殿は年十九にていまだ前髪ある勝たる御若衆にて候と語る扨天井をみれば鉄砲の玉の跡いくらといふ事なし是を尋れば答て曰仁科五郎さすが信玄公の御子なればつよく御働小山田備中をはじめ十八人狂廻り討かね候故森勝蔵殿の衆屋根へ上り板をまくりて上より鉄砲ずくめに仕候と語りたり後勝蔵一手の衆を高遠の屋根ふき士と異名に付て笑ひしと也。
 
一、天明四年十二月廿六日火事 一話一言(大田南畝)
夜四半時頃八代州河岸より出火候處西北風烈数左之通焼失翌廿七日暮六時過火鎮り申候。《甲斐関係のみ抜粋》
 町奉行 曲淵甲斐守   
同六年正月廿二日火事、同廿三日火事
御小姓組 白須甲斐守組 松平典膳

Viewing all articles
Browse latest Browse all 3088

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>