武川町の歴史 中山砦(白州町・武川町)を守った人
武川町の歴史 中山砦(白州町・武川町)を守った人 中山烽火台長 中山主衛頭義基 墓と系譜 武川町三吹にあるドライブイン奥にある、案内板と墓所(一部加筆)...
View Article武川町(当時、村)中山砦発掘調査より 1984
武川町(当時、村)中山砦発掘調査より 1984 この調査報告書の記述内容には筆者の思い込みの個所がある。特に真衣野牧の記述などは正確な資料を持たないもので、一考を要する。その箇所は ――で記す。...
View Article馬場美濃守信房 戦陣五つの信条
馬場美濃守信房 戦陣五つの信条元亀四年(天正元年・1573)二月、野田城を陥れるが、既に信玄の病重く、四月十二日信州駒場の宿陣で逝去する。時に馬場信房五十八歳、不死身の信春にも老が迫っていた。信房は部下の若者たちに次の戦陣五つの信条を語って聞かせた。一つ...
View Article甲斐を詠んだ歌 在原滋春
◇昌泰2年(899)2月【『古今和歌集』】◆在原滋春…甲斐守赴任。…甲斐の国にあひ知りて侍りける人とぶらはんとてまかりけるを、みちなかにてにはかに病をしていまいまとなりにければ、よみて「京にもてまかりて、母にみせよ」といひて人につけて侍りける歌……かりそめのゆき甲斐路とぞ思ひこし今はかぎりの門出なりけり【『大和物語』】…この在次君、在中将の東に往きたるにあらむ、この子どもも人の国通ひをなむしける。心...
View Article○馬場美濃足跡 「白州台ケ原田中神社馬場八幡社記」
○馬場美濃足跡 「白州台ケ原 田中神社 馬場八幡社記」 美濃守信房ノ鎮守ナリ。采地ノ節此社地ノ西ニ居住ス。円中手裁ノ桜同松今朽。信房長篠ノ役自殺ノ遺骸ハ其臣某シ来リテ居址或ハ此八幡祠ノ側ニ埋葬セシトソ申伝候。社地…竪二十四間、横十間(二百四十坪)
View Article○馬場美濃足跡『巨摩郡北山筋吉沢村太寧寺由緒書』
○馬場美濃足跡『巨摩郡北山筋吉沢村太寧寺由緒書』 再開基 武田信玄之将士馬場美濃守、法号 乾叟自元大居士ニ御座候……『甲斐 寺記・神社記』○ 『馬場彦左衛門家記』馬場美濃守ノ孫同民部ノ男丑之介壬午ノ乱ヲ避ケ其母ト倶ニ北山筋平瀬村ニ匿ル後本村ニ移居シテ與三兵衛ト更ム。
View Article甲斐を詠んだ 歌人 甲斐少目…凡河内躬恆。甲斐権少目。(おおしこうちのみつね)
◇寛平6年2月(894)【『古今和歌集目録』】◆甲斐少目…凡河内躬恆。甲斐権少目。(おおしこうちのみつね)【『古今和歌集』】…かひのくににまかりける時道にてよめる……夜を寒みおくはつ霜をはらひつゝ草の枕にあまたたびねぬ【『甲斐国志』】…拾芥歌人三十六人を載す。云、躬恆古伝云、不見甲斐権少目、淡路守、或本云、大井川行幸和歌書に書する所、散位。【『『甲斐国志』】…壬生忠岑…古今集序右衛門府生とあり、本州...
View Article馬場美濃守の後裔 馬場与三兵衛
馬場美濃守の後裔 馬場与三兵衛 朝気村(現甲府市朝気)『甲斐国志』第百八巻士庶部第七浪人馬場彦左衛門ノ家記ニ云、馬場美濃守ノ孫同民部ノ末男丑之介壬午(天正拾年)ノ乱ヲ避ケ其母ト倶ニ北山筋平瀬村ニ匿ル後本村(朝気)ニ移居シテ与三兵衛ト更ム。其男四郎右衛門、其男善兵衛(元禄中ノ人)今ノ彦左衛門五世ノ祖ナリ善兵衛ノ子弟分流ノ者アリ皆小田切氏ヲ稱セリ。...
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