馬場美濃守信房 戦陣五つの信条
元亀四年(天正元年・1573)二月、野田城を陥れるが、既に信玄の病重く、四月十二日信州駒場の宿陣で逝去する。時に馬場信房五十八歳、不死身の信春にも老が迫っていた。信房は部下の若者たちに次の戦陣五つの信条を語って聞かせた。
一つ
敵より味方のほうが勇ましく見える日は先を争って働くべし、味方が臆して見える日は独走して犬死するか、敵の術中にはまるか、抜けがけの科を負うことになる。
二つ
場数を踏んだ味方の士を頼り忙する。その人と親しみ、その人を手本としてその人に劣らない働きをする。
三つ
敵の胃の吹き返しがうつ向き、旗指しもの動かなければ剛勇と知るべし。逆に吹き返し仰向き、旗指しもの動くときは弱敵と思うべし。弱敵はためらわず突くべし。
四つ
敵の穂先が上っている時は弱断と知るべし、穂先が下っている時は剛敵。心を緊めよ。長柄の槍そろう時は劣兵、長短不揃いの時は士卒合体、功名を遂げるなら不揃いの隊列をねらうべし。
五つ
敵慌心盛んな時は、ためらうことなく一拍子に突きかかるべし。
信房が示したこの五つの信条は、信玄の「敵を知り、己れを知らば百戦百勝」の遺訓にかなっている。信房が「一国太守の器量人」といわれたのもこの辺に由縁するのであろう。