甲斐御牧の全貌 甲斐国志他
甲斐の御牧『甲斐国志』 Adobe PDF) - htmlで見る(Adobe PDF) - htmlで見るsky.geocities.jp/miharasi2012/kainomimakisimizu.pdfなお記載方法は一部改行して読み易くした。 甲斐の御牧(勅旨牧)『甲斐国志』「巻之二」 国法部 牧場(一部編集加). 一、日本記ニ、雄略帝十三年甲斐黒駒ノ事見ユ、續日本記ニ、聖武天平三年十二月丙....
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唐土明神 武川村山高甲斐国志巻之六十六 一部加筆 【現在は幸燈宮(さちひのみや)という。】 唐土明神という、黒印神領二石六斗 社地方四十歩。祉記に云う.大己貴命を祀り、新羅三郎義光を相殿とす。昔時は二祠にて大武川の河側に唐土と云う所に在り、社地方二町余漲水に流失して、今は数株の古樹を余すのみ。元亀元四年(1573)山高氏是れを西宮に移し両祠を移せしが、その黷(トク...
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川を捨てた勝頗 釜無川水源地帯(「川は見ていた」島田一男氏著より) 釜無川はまぼろしの川。法規上は存在しないといった。現実に、笛吹川への合流点...
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甲斐源氏と谷戸城資料『大泉村誌』「第三編大泉村の歴史」第一節甲斐源氏の勃興と谷戸城他一部加筆。谷戸城は古城跡として山頂部の中郭部(一の郭)をはじめ中腹の東西両郭(二、三の郭)、更に土塁などの遺構が存在しており、往時を偲ばせるものがある。『甲斐国志』古跡の部「谷戸ノ城跡」には、次の記述がある。「山ノ高サ数十丈、北ハ八ガ岳ノ麓ツヅキ、東ニ泉川流レ、西ニ町屋トテ人戸アリ。南ヲ城ノ腰ト云フ。山足ヲスベテ城下...
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甲斐源氏と清光寺資料『大泉村誌』「第三編大泉村の歴史」第一節甲斐源氏の勃興と谷戸城他一部加筆。清光の菩提寺となっている長坂町大八田にある朝陽山清光寺は、同寺伝によると仁平元年(一一五一)、清光が谷戸城の近くに帰依する僧宗甫阿闇梨を招いて墓言の道場信立寺を建立したのが始まりという。この道場がおよそ三〇〇年後の室町時代中期の文明七年(一四七五)、足利将軍義尚の時代に曹洞宗に改宗され、清光の二字をとって清...
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甲斐源氏武田信義、逸見光長資料『大泉村誌』「第三編大泉村の歴史」第二節甲斐源氏の勃興と谷戸城他一部加筆。黒源太清光がすばらしい子宝に恵まれ、それぞれの子を逸見荘より国中地方へ進出させ、いずれも要衝を占有させて武力を培かわせたことが、鎌倉時代から室町時代の武田氏、更に室町末期の戦国時代に勇名を轟かせた、信虎、信玄、勝頼の〝武田三代"へと発展していくことにたるのであるが、甲斐國に拓げる武田の始祖となった...
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