馬場美濃守 『村乃あゆみ』
名所旧跡の項 馬場氏の居跡
白須西方の広野に馬場美濃守信房(◎白須家)の宅跡がある。郷社若宮八幡神社の南方で東西凡そ二丁余南北二丁。今は全部田畑となっているが四周に掘り跡があり、猶邸内に一條の濠を通した跡がある。邸園の跡とおぼしき辺に梨の老木があってその地名を「梨の木」と呼んで居る。古色蒼然たる石祠の屋根石が「梨の木」の有ったと云う藪陰に在る。その南方に一條の低地が在る、そこより高橋の清水と称する冷水が湧き出し自然の谷をなしている。その谷の南方一帯の地を大庭と云う。馬場の跡らしくも思える。その南殿町部落より竹宇に通じる右直に沿いたる地に門が有ったと見え、今に礎石が存して有る。
この居跡の北方丘陵の上に姫塚と称する塚がある。里人は信房の墓と称すれども疑わしい。盖しその縁辺の人の墳墓ならん。この丘陵の地は自元寺の故地なると称し現に同寺の所有である。
「姫塚」は若宮八幡神社の左方に現在もあり、遺骨については織田信長の娘との説もあり、姫塚は現在の前沢(かっては門前と呼ばれた)の北原の地に墳墓があり、ここを「姫塚」と呼び墳墓を整備したがその後この場所には作物が育たなかったと云う話もある。また北原の墳墓からは装飾品が出てきたが今は一部を残して不詳との事である。又若宮八幡神社の周辺は現在の国道が通る事となり、その時には多くの五輪の塔が地下に埋められたとも伝わるが、一部は好事家の手にあったが後禍を恐れて戻したとも伝わる。