江戸で語られた甲斐の民話 15、馬場美濃守の末裔 馬場三郎兵衛 閑憲瑣談(佐々木高貞)
(前略)
實は本国は三州、生国は甲斐にて、即ち物奉行馬場美濃守が妾腹の末子、幼名三郎次と申す者にて候、領主(信玄)逝去の後、世継ぎ(勝頼)は強勇の無道人、其上、大炒、長閑の両奸人、国の政道を乱し、諸氏一統疎み果候始末は、甲陽軍艦に書記(かきしるし)したる十双倍に御座候。されば□(長篠)の合戦の節も、先主以来の侍大将ども、彼是の諫言を一向用られず、美濃守を始めとして覚えの者ども大勢討死。夫より段々備えも違ひ、終には世継も滅亡致され、其頃私は十歳未満の幼少故に、兄にかゝり罷在候へども、甲州の住居も難叶、信州に母方の由緒有レ之故、玉本翫助が末子、八幡上総が甥等申合、三人ともに、信州に引込、往々は中国へ罷出、似合敷奉公をも仕らんと、年月を送り候所へに不慮難波鎌倉鉾楯にて、難波籠城是天の与えと手筋を以て間も無く城中へ召出され、千邑繁成が組与力となり、云々