芭蕉の甲斐訪問の諸文献の紹介 その時山口素堂は
芭蕉の甲斐訪問の諸文献の紹介……芭蕉の甲斐落ち……引用資料『俳聖芭蕉』 野田要吉先生(野田別天楼) 昭和十九年発行 天和時代の芭蕉 《前文略》...
View Article素堂 天和1年(1681)40才 付句 鍬かたげ行霧の遠里
素堂 天和1年(1681)40才 鍬かたげ行霧の遠里 素堂附句……三月、『ほのぼの立』高政編。芭蕉入集句と素堂の附句について。枯枝に烏のとまりたけり秋のくれ はせを鍬かたげ行霧の遠里 素堂...
View Article山口素堂7 天和1年 辛酉 1681 40才
天和1年 辛酉 1681 40才 世相二月、堀田正俊に五万石を加増とし、安中から古河に移封。五月酒井忠清死去。綱吉はこれを疑い、棺を改めさせようとしたといわれる。六月、綱吉みずから越後騒動を再審し、前判決を破棄する。十一月、上野沼田城主真田信利を悪政の故をもって改易した。いわゆる磔茂左衛門事件の結果である。十二月、堀田正俊を大老に任命。堀田は就任にあたり牧野成貞を将軍側用人に登用した。...
View Article素堂 天和2年(1682)41才
素堂 天和2年(1682)41才 世相……一月、大老堀田正俊さらに加増して十三万石となる。二月、病人病馬を捨てることを禁じ、「生類憐みの令」の発端となる。三月、孝行者を表彰。五月、人身売買を禁止。キリスト教禁令などの高札を諸国に立てる。七月、木下順庵を幕府儒官に起用。十二月、江戸で大火、八百やお七の火事である。...
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素堂 天和2年(1682)41才 世相……一月、大老堀田正俊さらに加増して十三万石となる。二月、病人病馬を捨てることを禁じ、「生類憐みの令」の発端となる。三月、孝行者を表彰。五月、人身売買を禁止。キリスト教禁令などの高札を諸国に立てる。七月、木下順庵を幕府儒官に起用。十二月、江戸で大火、八百やお七の火事である。...
View Article素堂の句及び記載のある書籍・研究書一覧表 敬称略
素堂の句及び記載のある書籍・研究書一覧表 敬称略(掲載は年代順ではありません) 1、 素 堂 昭和30年 「全俳人」 松本義一著 『国文学、解釈と観賞』224 2、 素堂資料採訪失敗記 『俳諧古跡考』 荻野清著 3、 素堂の句と謡 『懸 葵』24の5 重雅著 4、 素堂の俳句 『懸 蒼』24の6・7 蒼梧著 5、 素堂の和歌 『瀬 祭』5の4 蒼梧著...
View Article素堂の事 『説業大全』明和八年(1771) 絢堂素丸編
『説業大全』明和八年(1771) 絢堂素丸編 ……葛飾の隠翁素堂は我先師なり、芭蕉友とし善俗名山口太郎兵衛、名は信章俳號は素仙堂来雪なり、本系割符の町屋にして、世々敖富の家なり、...
View Article素堂 元禄 5年(1692)51才 腹中の反古見はけん年の暮れ 素堂
素堂 元禄 5年(1692)51才素堂、 『深川集』発句一入集。酒堂編。(刊行は翌六年) 壬申九月に江戸へくだり芭蕉庵に越年して、 ことしきさらぎのはじめ洛にのぼりて、ふろしきをとく。 深川夜遊青くても有べきものを唐辛子 芭蕉 堤ておもたき秋の新ヲ鍬 酒堂 暮の月槻のこつぱかたよせて 嵐蘭 坊主がしらの先にたゝるゝ 岱水 (以下略)...
View Article延宝6年(1678) 37才 目には青葉山郭公はつ鰹
延宝6年 戊午 1678 37 世相 ……家計困窮の為、甲府・館林二藩主に五万俵づつ賜与。八王子千人同心……幕府が武田遺臣や浪人を集めて八王子と周辺に土着させ、甲州口を防衛させた。役千人。百人一組。高持百姓だが身分は武士である。 素堂の動向……前年の冬からこの年の春にかけて、芭蕉・信徳と共に『江戸三吟』興行する。...
View Article素堂(来雪) 延宝6年(1678)37才
延宝6年 己未 1678 37才 素堂……三月、『江戸八百韻』 入集。幽山編。一座する。(俳号来雪)何踊花ふんで鐶鞴うらめし暮の聲 幽山松は知らねか年号の聲 安昌白い雉子青かしらの山見えて 来雪裾野の里に人崩れ有リ 青雲 (松木氏、甲斐)歩行の者それより下は草枕...
View Article素堂(来雪) 延宝7年(1679)38才
延宝7年 己未 1679 38 素堂……四月、『富士石』発句二入集。調和編。二万の里唐津と申せ君が春 来雪かな文や小野のお通の花薄 々 素堂……五月上旬、『江戸蛇之酢』発句一入集。言水編。西行は富士を詠けんが組蓬莱 言水ふじニて山は扇汗は清見が関なれや 来雪(素堂)阿蘭陀も花に来にけり馬の鞍...
View Article芭蕉と神田上水(『別冊太陽』「芭蕉」〔芭蕉庵と江戸の町〕鈴木理生氏著。
芭蕉と神田上水(『別冊太陽』「芭蕉」〔芭蕉庵と江戸の町〕鈴木理生氏著。延宝八年(1680)神田上水惣払 町触覚一、明後十三日 神田上水道水上惣払有之候間 致相対候町々ハ 桃青方へ急度可被申渡候 桃青相対無之町々之月行持(事) 明十二日早天ニ 杭木、かけや水上迄致持参 丁場請取可被申候 勿論十三日中ハ 水きれ申候間 水道取候町々ハ左様に相心得 可被相触候 若雨降候ハゝ...
View Article高山麋塒所蔵の芭蕉遺墨 本式俳諧之次第
高山麋塒所蔵の芭蕉遺墨 白亥の『真澄の鏡』に発表されている芭蕉翁の遺墨や、本式俳諧之次第、作法の伝書等は、芭蕉関係を知る唯一の貴重な文献といわれ、傑作揃いの逸品であると激賞されている。高山家のこれらの遺墨は、惜しくも後年に散逸し、芭蕉図録や遺墨集等にその真蹟の写真が掲載され、伊賀上野の菊本氏の蒐集品に麋塒旧蔵の短冊四枚が発表されている。 馬ぼくく我を絵にみん夏野哉 桃青...
View Article杉風の塒糜宛書簡
杉風の塒糜宛書簡 安政六年(一八六九)守徹白亥編の『真澄鏡』に「杉風消息」と題され、「塒糜宛芭蕉書簡」、「あかあかと」の句の自画讃とともに「同処蔵これは祖翁の遺語なり。右に倣ふて真跡の本文をあぐるのみ」と前審されて全文が紹介された。発信日の『六月朔日』は、日附けの上の欄外に「元禄八年(一六九五)ナリ」と註書きがある。...
View Article甲斐・武田のこと。 様々な著書より
信玄碁石金 茅窓漫録(茅原定)奇人(かたわ) 齋諧俗談(大朏東華)孫子旗 昆陽漫談(青木昆陽)下御霊社司板垣民部談 遠碧軒記(黒川道祐)飯富兵部、信玄へ目安を捧ぐ 半日閑話(大田覃)...六郷の橋 柳亭筆記(柳亭種彦) 永禄九年武田...兼信秘蔵の太刀 煙霞綺談(西村白鳥)武田信玄の事 一話一言(大田南畝)曲淵勝左衛門由緒書 半日閑話(大田覃)町奉行 曲淵甲斐守...
View Article素堂と歌舞伎役者中村七三郎
素堂と歌舞伎役者中村七三郎素堂67才 宝永五年(1708)『梅の時』 中村七三郎追善集、序文と句 いきて人をよろかばしふるほど死して人をなかしふることはり、今猶昔におなじ。世に名だたる中村七三郎、過にし初三日のよるみまかりけるに、辞世とおぼしくて、梅に種を結びて、一句をのこせり。かつしかの同郷に追悼のこころざしあり。予もまた泣きをうつされて、 たきさしやそ架の中よりこぼれ梅...
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