高山麋塒所蔵の芭蕉遺墨
白亥の『真澄の鏡』に発表されている芭蕉翁の遺墨や、本式俳諧之次第、作法の伝書等は、芭蕉関係を知る唯一の貴重な文献といわれ、傑作揃いの逸品であると激賞されている。高山家のこれらの遺墨は、惜しくも後年に散逸し、芭蕉図録や遺墨集等にその真蹟の写真が掲載され、伊賀上野の菊本氏の蒐集品に麋塒旧蔵の短冊四枚が発表されている。
馬ぼくく我を絵にみん夏野哉 桃青
鶯を魂にねぶるかたはやなぎ 桃青
『虚栗』には「うぐひすを牌にねむるか嬌柳」とある。嬌柳はしなやかな柳のことで、その眠れるがごとき様に鶯を思い寄せたが、荘周が夢に胡蝶になった故事(荘子・斉物語)を踏まえている。
三ケ月や朝真の夕べつぽむらん 桃青
『泊船集』「虚栗」にある。満月となりゆく今の三日月は、言わば朝顔が夕方まだつぼんでいるといったようなものだとの意味である。
夕顔に米つき休む哀かな 桃青
「続の原」等には「昼顔に米つき涼むあはれ也」として出ている。真夏の暑さに米つきをしていた農夫が昼顔の下で休んでいる姿を見て詠んだものであろう。
芭蕉の糜塒宛書簡二通
芭蕉句集(朝日新聞社)抜すい
東京の安藤兵部氏の蔵として『芭蕉図録』に写真版が紹介され、古くは『真澄鏡』に出ているもので、天和二年五月十五日附松尾桃青名義で高山傅右衛門宛である。
甲州谷村の糜塒から連句の巻を送って批判を乞うたのに対し、連句作法に関する心得を説き、糜塒の参考に供する意味で才丸、其角、芭蕉の付句を附記している。この六連の付句は他に所見がなく、本簡を通じて初めて知られるものであった。新風体が目鼻立ちを整えてゆく頃の俳壇状勢が察知されるとともに、一つ書した個所から芭蕉の俳諧観が伺がわれるなど、資料価値のゆたかな書簡といえる。
糜塒の俳諧が「古風のいきやう多く御座侯而一句の風流おくれ侯様に覚申候」と苦言を遠慮なく述べ、それと言うのも「久々爰元俳諧をも御聞不被成」と推諒している。
「爰元」は江戸のことをさし、遠く国詰家老職であった糜塒が俳風の変遷に通じなかった頃の手簡と思はれる。「校本芭蕉全集」では、この執筆年次についていろいろと考察され、一応天和二年としている。
『真澄鏡』のいま一通は、消息の様式でなく、秘事口訣とされた作法の伝書である。題して「本式俳諧之次第」とある。
糜塒が本式俳諧百韻の形式について文書で教示を望んだのに対し、懇切に説明的伝書を送ったもので年代は不明である。
高山傅右衛門(糜塒)宛
五月十五日高山傅右衛門様
(天和二年五月十五日付) 松 尾 桃 青 書判
貴墨忝拝見、先以御無為(に)被成御坐珍重(に)奉存候。私無異儀罷有侯。偽而御巻致拝吟候。尤感心不少候へ共、古風之いきやう多御坐候而一句之風流おくれ候様ニ覚申候。其段近比御尤、先ハ久々爰元俳諧をも御聞不被成、其上京大坂江戸共ニ俳諧殊之外古ク成候而、皆同じ事のミニ成候折ふし、所々思入替候ヲ、宗匠たる者もいまだ三四年巳前の俳諧ニなづミ、大かたハ古めきたるやうニ御坐候ヘバ、学者猶俳諧ニまよひ、爰元ニても多クハ風情あしき作者共見え申候。然る所ニ遠方御へだて候而此段御のミこミ無御坐、御尤至極(に)奉存候。玉句之内三回句も加筆仕候。句作のいきやうあらまし如比ニ御坐候。
一、一句前句二全体はまる事、古風中興共可申哉。
一、俗語の遣やう風流なくて、又古風ニまぎれ候事。
一、一句の細工に仕立侯事不用(に)候事。
一、古人の名ヲ取出て何々のしら雲などと云捨る事、第一古風ニて候事。
一、文字あまり三四字五七字あまり侯而も、句の響き能候ヘバよろしく、
一字ニても口ニたまり候ヲ御吟味可有事。
子供等も自然の哀(あわれ)催すに
つばなと暮て覆盆子刈原(いちごかる) 才丸
賤女とかゝる蓬生の恋 才丸
よごし摘あかざが薗にかいま見て
今や都ハ鰒を喰らん
夕端月蕪ははごしになりにけり 其角
といはれし所杉郭公
心野を心に分る幾ちまた 其角
山里いやよのがるゝとても町庵
鯛売声(うる)に酒の詩を賦ス
葛西の院の住捨し跡
ずいきの声蕗壺の間は霜をのみ
『校本芭蕉全集』(角川書店)抜すい
本式俳諧之次第
一、初折の面十句。但シ面十句之内名所一ツ必出すなり
一、名残のうら六句なり
一、花は先四本五六七八も有之面に花をひとつづゝしてもくるしからず
一、月は五句去にいくらもあるべし
一、雪月花郭公寝党是五色の内いづれも二句去なり
一、猿と檜原山類に用ゆ。往古之式には初折の面十句之内何れも賦物を
とる。一順のはじめに賦物を書つくすなり。
其後はむづかしき故に発句斗りにふしものをとれるなり
一、降るものとふりもとの間二句
一、五句のもの三句、三句の物は二句去
一、七句去のものは十句去なり
右あらまし如此
一、みゆ ウクスツヌフムルシ
むかふの山に雲のたつみゆ
あれなる海に舟をこくみゆ
花の垣根に胡蝶とふみゆ
一、下の句つゝ留り
大やうものを二ツ言ならべてとまるべし
譬ば
右も左も袖はぬれつゝ
また
二艘のふねを漕流しつゝ
又ものゝかぎりなき心にもあり
譬ば
たえず深(み)谷の水流れつゝ
一、上の句つゝ留
是難儀大切なる手爾波なりとて先途も多くはせざるなり
譬ば
散花は筏に波にながしつゝ
此上の句の留も下の句のつゝとまりとしたての心相似たり。
物を二つにいふと、又かぎりなき思入などにてとまるべし
一、下の句て留
前句の上の句の五文字に、さればこそ、心こそ、などある時下の
句にててと留るなり。
また前句にもかまはずして、てどめあり
譬ば ラリルレロ
此五文字、ての宇の上におくなり
花のにほひは袖にとまりて
ものおもふとは色にしられて
一、下の句に留
譬ば
前句上の句五文字にかさなりてつらなりてなど有時にと留るな
り。
また前句にもかゝはらずにと留るあり
譬ば
涙は袖に 露はたもとに
花は園生に 露はまかきに
右二ツ手本なり。是山を見る玉を見るといふ手爾遠波なり。
一大事の秘伝あなかしこ、あなかしこ
右山玉の字を坐の句のかしらにおくなり
一、大まはし発句
譬ば
或は三段切。かさね切。らん留。をまはし。五文字切。
但シ坐の五文字なり
一、脇てには留
腰に韻字をすゑてあるなり
一、第三韻字留
前句の五文字かゝらず長高くして一句慥ニとまる。同第三のてにて
留申内、あるひはらん。
らんは常の事のやうに候へども口傅あり。
又もなし留に留前の句のあひしらひによりあるべし口傅あり
一、二字のらん留
にほひのみ花は霞に咲ぬらん
雪いと高しふみ迷ふらん
右口博
一、過現未三ツのし文字
現在のし
山遠し 水高し
過去
過し 見えし 教へし
未来
去りぬべし 来たるべし
一、こそかゝえ手爾波 ヘケセンメ
一、下句のこそどめ ニバ
一、下の句上の句もの字留
野も山も。山も梺も。雪もあられも。などゝも文字をニツ対してい
へば留るなり
一、花に桜付やう
是別て秘するに侍る。前句の花、花がつを、花の袖などゝいふたら
ば桜を付てくるしからず。
前の花別のものなるゆゑに又たとへ本花に仕立たる句なりとも、
名字の付たる桜を付候はばくるしからず。
乍去此分にても不功者の人ならば付はだへ相違あらんかと覚束な
し。功考ならではいかが。
一、上の句やと言て下にてと留る事とかく口あひのやならばとまるべ
し。
譬ばその原や近江路やなどゝ名所かかるや文字にててと留る事は大