素堂 天和1年(1681)40才 鍬かたげ行霧の遠里
素堂附句……三月、『ほのぼの立』高政編。
芭蕉入集句と素堂の附句について。
枯枝に烏のとまりたけり秋のくれ はせを
鍬かたげ行霧の遠里 素堂
関連記事……新編『芭蕉一代集』昭和六年刊。勝峯晋風氏著より(P431)
『二弟準縄』の脇五體の證句打添
「枯枝に霧のとまりけり秋の暮」
「鍬かたけ行く霧の遠里」
口傳茶話の事ありとあるが、此脇句附は尾張鳴海の蝶羅が『千鳥掛』に洩れたものを『冬のうちわ』に拾遺した其の一つである。加賀山代永井壽氏の許に真蹟を存する。
関連記事……「枯枝に」の句について(『俳聖芭蕉』野田別天氏著明柑十九年刊)
嵐雪門の櫻井吏登の『或問答』に或人の問いに答えて、
今は六十年も巳前、世の俳風こはぐしく、桃青と中せし頃は
「大内雛人形天皇かよ」
或は
「あやめ生り軒の鰯のされこうべ」
斯る姿の句も致され候。梅翁(宗団)なんど檀休の棟梁として、枝になまきず絶えなんだの最中に侍りしを、季吟も難かしがられ、桃青素堂と閑談有りて、今の俳風和ぐる方もやと、三叟神丹を煉て、桃青その器にあたる人と推して進められしにより、然らば斯くに趣にもやと
「枯枝に鳥のとまりたるや秋の暮」
の一句を定められし、是を茶話の傳と申すなり。云々
……葛飾素丸『蕉翁発句説叢大全』
云ふ所の季吟、芭蕉、素堂新立の茶話口偉と云事いぶかし。
素堂と季吟の対面はなき事なり。黒露に聞しが、是も右のごとく答へし。云々
筆註…季吟は延宝三年に京都で信章(素堂)歓迎百韻の歌仙を興行している。(『二十会集』)