『説業大全』明和八年(1771) 絢堂素丸編
……葛飾の隠翁素堂は我先師なり、芭蕉友とし善俗名山口太郎兵衛、名は信章俳號は素仙堂来雪なり、本系割符の町屋にして、世々敖富の家なり、
常に洛陽に往来して、信徳・言水か従と奮識たり。性、詩歌連俳をこのみ、又琴曲を學ひ又謡舞に長ず、一朝世の常なきを觀相して、家産を投ち第は山口胡庵に譲り、母を共して忍か岡の梺、蓮池の邊りに、隠栖をいとなみ、孝養を遂けたる事は、其行牒並に發句等にも世の知る所也、老母歿して後芭蕉・其角か従進めに應じて本所、今六間掘、鯉屋敷といふに草庵を営、住めり。
家集に
忍か岡麓よりかつしかの里へ居を移すとて
長明が車に梅を上荷哉
素堂是より芭蕉庵と隣也。けれは猶はた芭蕉も心をよせて、莫逆の交をなせり。三日月日記・後菊の園其外人の知る所、風流の交り今将タ言に及はす。集物にあり原安適松か浦島の和歌求め得す。 云々