芭蕉と神田上水(『別冊太陽』「芭蕉」〔芭蕉庵と江戸の町〕鈴木理生氏著。
延宝八年(1680)神田上水惣払 町触
覚
一、明後十三日 神田上水道水上惣払有之候間 致相対候町々ハ 桃青方へ急度可被申渡候 桃青相対無之町々之月行持(事) 明十二日早天ニ 杭木、かけや水上迄致持参 丁場請取可被申候 勿論十三日中ハ 水きれ申候間 水道取候町々ハ左様に相心得 可被相触候 若雨降候ハゝ 惣払相延候間 左様に相心得可被申候以上
六月十一日 町年寄 三人
覚
一、明廿三日 神田上水道水上惣払有之候間 桃青と相対いたし候町々ハ 急度可申渡候 相対無之町々ハ人足道具為持明早天水上江罷出可被申候勿論明日中水切候間 町中不残可被相触候少モ油断有間識候。
六月廿二日 町年寄 三人
……『一話一言』大田南畝著。
いふところ桃青は、或は松尾宗房か。のち二年すなわち天和二年九月二十八日の惣払町触には六左衛門と有り。
恐らくは神田上水水役 内田六左衛門其人なるべし。水役は三年寄に属して、水上の監視を掌り、惣払普請等の外、極めて閑散なる職也。六左衛門の前の宗房亦、三年寄の好意に由り、此の閑職に在りて、糊口の資を得、以て専ら力を俳諧に用ひたりし者に似たり。云々
〔素堂余話〕
……『甲斐国志』「素道」の項
(略)素堂答ヘテ云人者コレ天地ノ役物ナリ。観可進ム素ヨリ其分ノミ況ヤ復父母ノ国ナリ。友人桃青モ前ニ小石川水道ノ為ニ尽力セシ事アリキ。云々