延宝6年 戊午 1678 37
世相
……家計困窮の為、甲府・館林二藩主に五万俵づつ賜与。
八王子千人同心
……幕府が武田遺臣や浪人を集めて八王子と周辺に土着させ、甲州口を防衛させた。役千人。百人一組。高持百姓だが身分は武士である。
素堂の動向
……前年の冬からこの年の春にかけて、芭蕉・信徳と共に『江戸三吟』興行する。
この年始めて来雪の号を使う。夏頃江戸を出発し長崎に向かう。
清水茂夫氏によれば、唐津で詠んだ「二万の里…」の句は主君との別れの吟であるという。
長崎は去来や卯七など素堂周辺の人々が居る。素堂が長崎を訪れた理由は定かではないが、単なる旅行ではないことだけは推察できる。
素堂……『江戸三吟』に参加。(『江戸三吟』は六年の暮春に終わる)(前掲)
素堂……『江戸廣小路』発句七入集。不卜編。
遠目鑑我をおらせけり八重霞 来雪
季白いかに樽次はなにと花の瀧 々
おもへば人雪折竹もなかりけり 々 (以下略)
素堂句評
……信章素堂が句に「季白いかに樽次はなにと花の瀧」、是は瀧の花にあらず。
花を瀧の比喩ながら、瀧をいへるより、李白が事を句にせしにや。
……延宝に素堂がけやけき、貞享に芭蕉の穏なる句作を察すべし。(『句選年功』積翆著)
素堂……九月、『新附合物種集』付句五入集。西鶴編。未見。
号、来雪
素堂……八月、『江戸新道』発句六入集。言水編。
焼飯や上戸の笑ひ下戸の花 言水
春 部
夕哉月を咲分花の雲 来雪
上 野
小僧来たり上野は谷中の初櫻 来雪
夏 部 鎌倉にて
目には青葉山郭公はつ鰹 来雪
峠凉し興ノ小島の見ゆ泊り 来雪
秋 部
鬼灯や入日をひたす水の物 来雪
冬 部
世中や分別者やふぐもどき 来雪
目には青葉の句、評
……『俳諧古今抄』支考著。
「目には……」は武江の素隠士が鎌倉の吟行なり。されば此句の称する所は、目にと語勢をいひ残して、目に口と心をふくめたる、さるは影略互見の法にして、これを三段の地としるべし。
目には青葉の句、評
……『俳論』土田竹童著。
「切字の弁」はいかいの項。
「目には青葉」「耳には山ほとゝぎす」「口にはつ鰹」といづれも珍しきをならべて、これよくとこたへたるにその語分明なるものなり。
同、幸田露伴評
……素堂は山口氏、葛飾風の祖なり。芭蕉これを兄事せるが如し。故を以てこゝは芭蕉が師事した季吟の次に置けるなるべし。句は眼、耳、舌の三根に對して同季の三物を挙げて列し、以て初夏の心よきところを言へり。一句中に同季のもの挙げて其主題の明らかならぬは忌むところなれど、それらの些事を超越して豪放に言放てるが中に微妙の作用ありて人おのづからにほとゝぎすの句なることを感ずるは、霊妙といふべし。青葉と云ひて、ほとゝぎすと云ひたる両者の間の山の語、青葉にもかゝりて、絲は見えねど確と縫ひ綴められあり、ほとゝぎすといひて、堅魚( ) といひたる間の初の語、堅魚には無論にかゝりて、又郭公は何時もこれを待つこと他の鳥ならば其初音に焦るゝ如き情けあり。既に 郭公はつ聲、と云ひかけたる素性法師の歌も古今集巻三にあり。かゝる故に暗に郭公にもかゝりて、是亦両者を結びつけて隙間無く、しかして郭公青葉と堅魚の其中心に在りておのづから主位たるの實を現わし、一句を総べて渾然一體、透徹一気に詠じ去れり。是の如きを天衣無縫とは云ふなり。素堂の気象の雄なる、偶然にして是の如き句の成れるに至りしにもあるげけれど、其人治水の功を立てゝ甲斐の國には生祠を建てられ、又他の一面には茶道に精しくして、宗 の茶道の書に求められて序を爲れるほどの隠士なれば、雄豪一味のみにてかゝる句を得たるにもあらじと思はる。 (『評釈曠野 上』所収 昭和十一年刊)
素堂……『鱗形』発句一入集。雪芝編。 雑巾や松の木柱一しくれ
雪芝…… 寛文十年(1670)生、~正徳元年(1711)歿。年四十二才。本名弘岡保俊。通称七郎右衛門。伊勢国上野の酒造家。芭蕉の縁者とも。
折々や雨戸にさはる荻のこゑ 雪芝(『続猿蓑』)