山口素堂&松尾芭蕉 和漢連句 元禄五年
破風 ( はふ )口 ( くち )に日かげやよはる夕すゞみ 芭蕉煮レバレ茶ヲ蝿避レ烟ヲ 素堂合歓醒ム二馬上ニ一 素堂かさなる小田の水落すなり 芭蕉月代 ( しろ )見ル二金気ヲ一...
View Article山口素堂と禅宗文化 素堂と芭蕉
山口素堂と禅宗文化 素堂と芭蕉素堂と芭蕉は俳訟によって結ばれた師弟、親友、兄弟のような関係であると色々解説される。文芸的な芸術家の芭蕉に対して、素堂はあまりにもアカデミックな学術家のため、後世取り上げられる事も少ない。素堂のその文学的原点をとらえるには芭蕉と同様に、禅宗文化の面から論じて見たい。些か脱線しそうな感じもするが、素堂に至るまでの流れを追って見る。** 素堂と禅宗文化...
View Article素堂と禅宗文化*素堂の漢詩文*
**素堂の漢詩文**山口素堂は漢学者であるが国文にも通じ、俳斟にも並々ならぬ素養を持ち、その見識は世を風摩する勢いであった。しかし、俳諧の面では松尾芭蕉の良き後援者となり、多くの俳諧人の撰修や茶道書に序文跋文を残し、その数は群を抜いている。後世、単なる好き者(別格の意もある)扱いをされ、多くはその評価も一部の研究者を除いて芳しいものではない。確かに漢詩文や俳諧の作品の多くは、興にのって即興的即吟であ...
View Article**松永貞徳発句**『犬子集』他
**松永貞徳発句**『犬子集』他ありたつたひとりたつたる今年哉 鳳凰も出でよのどけきとりの年春立つは衣の棚のかすみかな 花よりも団子やありて帰る雁ゆきつくす江南の春の光り哉 雪月花一度に見する卯木哉高野山谷のほたるもひじり哉 七夕のなかうどなれや宵の月歌いづれ小町をどりや伊勢踊 酒や時雨のめば紅葉ぬ人もなし
View Article系譜に見る素堂
系譜に見る素堂歴代滑稽傳 許六著 正徳 五年(1715)素堂七十四才。 江戸 山素堂は隠士也。江戸三吟の時は信章と云。幽山八百韵は来雪と云。芭蕉翁桃青と友トシ善シ。後正風の体を専とす。綾錦 沾凉編 享保十七年(1732)祖 北村季吟----素堂 山口今日庵。始ハ云信章又来雪トモ云。享保二申八月十五日卒。齡七十五 住本所 有墳谷中感応寺誹諧家譜拾遺集 丈石編 明和八年(1771)祖...
View Article俳諧年表 正保 元年(一六四四)~寛文 三年(一六六三)
正保 元年(一六四四)芭蕉生まれる。一月、重頼、東下し江戸俳壇と交流。一〇月、貞徳、『天水抄』を令徳に伝授、俳諧伝の基礎となる。書『寛永廿一年俳諧千句』参一二月一六日改元。参幕府、諸国大名に国絵図作成を命じる。**松江重頼発句**『犬子集』他春の日の威光をみする雪間哉 咲きやらで雨や面目なしの花初花になれこ舞する胡蝶かな やあしばらく花に対して鐘つく事順礼の棒ばかり行く夏野かな...
View Article堂関連年表(素堂と親しい人の動向)明暦元年~寛文六年
堂関連年表(素堂と親しい人の動向)明暦元年~◇明暦 元年(一六五五)北村季吟が俳諧の奥書「俳諧理木」を著す。(季吟は延宝三年、素堂を招いて、京都にて「歓迎百韻」を催す)○山田宗偏が小笠原家の茶道指南となる。(素堂の友人 「今日庵」の掛軸を素堂に贈る)**明暦 三年(一六五七)一月、江戸の大火。林家の文庫類焼し「本朝通鑑」焼ける。同月林羅山没七十五才 万治...
View Article素堂家墓所
▽九、素堂家墓所 (1)素堂の墓所感応寺(天王寺)との関連。(2)甲府尊躰寺の山口家墓所について、荻野清氏の調査では、三十基にあまる山口一家の墓標が今も残されていて、その中でも、最も古いのは、寛文十三年六月七日、江岸詠月禅尼 と誌されたものであるという。(2)小高敏郎氏は、この、江岸詠月禅尼 なる人物が素堂の妻だとすれば、素堂は寛文十三年(三十二才)、若くして妻を喪ったことになるといった。...
View Article素堂&芭蕉 和漢連句 元禄五年
破風 ( はふ )口 ( くち )に日かげやよはる夕すゞみ 芭蕉煮レバレ茶ヲ蝿避レ烟ヲ 素堂合歓醒ム二馬上ニ一 素堂かさなる小田の水落すなり 芭蕉月代 ( しろ )見ル二金気ヲ一...
View Article**【参考資料】素堂以前の俳人たち 「発句」 **
**【参考資料】素堂以前の俳人たち 「発句」 ** **松永貞徳発句**『犬子集』他ありたつたひとりたつたる今年哉 鳳凰も出でよのどけきとりの年春立つは衣の棚のかすみかな 花よりも団子やありて帰る雁ゆきつくす江南の春の光り哉 雪月花一度に見する卯木哉高野山谷のほたるもひじり哉 七夕のなかうどなれや宵の月歌いづれ小町をどりや伊勢踊 酒や時雨のめば紅葉ぬ人もなし...
View Article素堂追善 内藤露沾
かつしかの素堂翁は、やまともろこしうたを常にし、こと更俳の狂句の達人なり。おしひかな、享保初のとし八月中の五日、終に古人の跡を追いぬ、予もまた志を通ること年久し。しかあれど猶子雁山、をのをの追悼の言葉を桜にお集んとて予に一序を乞。おもふに彼翁、周茂叔が流に習ふて、一生池に芙蓉を友とせしは、此きはの便りにもやと、筆を染るものならし。 遊園軒 月清く蓮の実飛で西の空 露沾
View Article素堂追善 杉風
悼素堂翁は近きあたりに軒を隔て、月雪花鳥のころは、互に心を動し、句をつづりけるに、時こそあれ、仲秋中の五日に世を去て筆の跡を残す。 枕ひとつ今宵の月に友もなし 衰杖(杉風)
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