▽九、素堂家墓所
(1)素堂の墓所感応寺(天王寺)との関連。
(2)甲府尊躰寺の山口家墓所について、荻野清氏の調査では、
三十基にあまる山口一家の墓標が今も残されていて、その中でも、最も古いのは、寛文十三年六月七日、江岸詠月禅尼 と誌されたものであるという。
(2)小高敏郎氏は、この、江岸詠月禅尼 なる人物が素堂の妻だ
とすれば、素堂は寛文十三年(三十二才)、若くして妻を喪ったことになるといった。
…この項「山口素堂の研究」筑波大学、黄東遠氏著より。
(3)甲府尊躰寺の山口家墓所について調査の結果、前述の荻野氏の調査とは大きな違いが判明する。山口家の正面の墓石は山口勝(藤)左衛門と読める刻字がある。肝心な主市右衛門の墓石が無い。勤番士萩原氏の刻字のある墓石がある。
正面元禄三年 皈眞 光誉清意禅定尼 冥位
側面老母 山口市右衛門尉建立
山口氏勝(藤)左衛門 天和三年
施主山口氏の刻字墓石 年不詳
魚町山口氏の刻字墓石 貞享元年
施主山口氏の刻字墓石 宝永六年
素堂の父母の墓石は不明
この項については別記する。間単に説明すると、この墓所の古い墓石は寄せ集め墓石で甲府勤番士や他家のものもある。素堂の生家とされる「山口屋市右衛門」などの名前も無く、「側面老母 山口市右衛門尉建立」の刻字も後世のものとも考えられる。
いずれにしてもこの墓所と素堂の関与は無い。