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Channel: 北杜市ふるさと歴史文学資料館 山口素堂資料室
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『虎渓の橋』井原西鶴 延宝六年(1678)

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『虎渓の橋』井原西鶴 延宝六年(1678)
 
日本俳書体系(大正15年 1926) 神田豊穂氏著 一部加筆
 
大坂の西鶴と江戸の松意とが、ある日京は智恩院前の葎宿亭に寄り合ひ、「是はと三人笑ひ」ながらの三吟三百韻。一日の中に巻き上げて、「花はなき桜木にちりばめける」といふのが、『名残の友』に書き残した西鶴の思ひ出で、『虎渓の橋』に就いてのおほよそはこれで推諒されるが、その時松意は「俳諧修行のためとて遥々上り」宿を宿として、その三百韻以外にも「京の作者残らず參會して」頗るさかんな俳席がもよほされたらしい。
同じ京の作者ながら高政をこの一坐に引き入れたならば、まだずっと面白い幕が打てたかも知れない。大坂・京・江戸を通じての談林三人男は西鶴・高政・松意であるから三人同坐して、西鶴が阿蘭陀張りで異体な前句を出せば、高政は惣本寺一流の珍重々々であしらひ、殺意は二人の仲を取り持つ事になったのであろう。虎渓三笑の故事はただ外題に借りたまでで本文に関係ないし、この三吟を開版するにも、西鶴一人の才覚であったようで、附録の歌仙はその二人とは無交渉な対馬の俳人定俊と西鶴の両吟である。「又の日は対馬の人にさそはれて」嵯峨野をさまよひ、瀧口の奮跡にたゝずんで懐古の情を歌仙につゞった前文がこれに附いてゐる。

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