正保 元年(一六四四)芭蕉生まれる。
一月、重頼、東下し江戸俳壇と交流。
一〇月、貞徳、『天水抄』を令徳に伝授、俳諧伝の基礎となる。
書『寛永廿一年俳諧千句』参一二月一六日改元。
参幕府、諸国大名に国絵図作成を命じる。
**松江重頼発句**『犬子集』他
春の日の威光をみする雪間哉 咲きやらで雨や面目なしの花
初花になれこ舞する胡蝶かな やあしばらく花に対して鐘つく事
順礼の棒ばかり行く夏野かな 此度はぬたにとりあへよ紅葉鮒
芋豆や月も名をかへ品をかへ 生魚の切目の塩や秋の風
正保 二年(一六四五)
二月、重頼『毛吹草』刊。書『厳島大明神法楽連歌三百韻』
『十一韻』歿一二月、沢庵七十三没。
正保 三年(一六四六)
春、正式『郡山』、正章『氷室守』の両書、『毛吹草』を攻撃。
書『切紙秘伝良薬抄』『底抜磨』
正保 四年(一六四七)
貞徳、新年を新宅柿園で迎える。
九月、宗因、里村家の推挙で大阪天満宮連歌所宗匠となる。
書『云成俳諧独吟千句』『追福千句』『誹諧集三千句』
『誹諧集二千句』(『長崎独吟』『徳元俳諧紗』)
歿二月、小堀遠州六十九才。歿徳元八十九才。
慶安 元年(一六四八)
一月、季吟『山の井』刊、季蓮に例句を添えた季寄せの囁矢。
九月、『正章千句』刊。正章、俳壇における地位を確立。
書『西行谷法楽千句』 二月一五日改元。
** 安原貞室発句 **『正章千句』『一本草』『玉海集』他
黄鸝(うぐいす)も三皇の御代を初音かな
歌いくさ文武二道の蛙かな 葉は花の台にのぼれ仏の座
これはくとばかり花の吉野山 いざのぼれ嵯峨の鮎食ひに都鳥
松にすめ月も三五夜中納言 そちは何を射げきの森のよるの蝉 小便の数もつもるや夜の雪 涼し溝のかたまりなれや夜半の月
** 北村季吟発句 **『続連珠』『山の井』『師走の月夜』他
一僕とぼくくありく花見哉 こゝぞ京のよしの能見よ地主の花
太郎月につぐ紅梅や次郎君 めづらしや二四八傑のはとゝぎす
夏をむねとすべしる宿や南向き 女郎花たとへばあはの内侍かな
閑なる世や柊さす門がまへ 咲くやこの今を春べと冬至梅
年の内へふみこむ春の日足哉
** 西山宗因発句 **『懐子』『宗因発句集』他
ながむとて花にもいたし頸の骨 そうよそよきのふの風体一夜の春花むしろ一けんせばやと存じ候 世の中よ蝶々とまれかくもあれ郭公いかに鬼神もたしかに聞け なんにもはや楊梅の実むかし口
慶安 二年(一六四九)
一月、宗因、大阪天満宮月次連歌再興。
書『花月千句』『師走の月夜笥そらつぶて』『風庵懐旧千句』
『望一千句』参二月、農民の心得を記す慶安御触書発布。
三月、木下長哺子『挙自乗』刊。四月、
未得『吾吟我集』成、個人狂歌集の嚆矢。
慶安 三年(一六五〇)
一〇月、『嘉多言』刊(成)。書『伊勢山田俳諧集』『くるる』
『誹諧抜書』『歩荒神追加』『野狩集』
慶安 四年(一六五一)
四月、立圃、備後国福山藩に仕える。
七月、貞徳、『俳話御傘』に式目をまとめ俳言を説く。
一〇月、令徳『遠山集』刊、貞門俳詰最大の撰集。
参七月、由比正雪事件。八月、家綱、将軍宣下。
承応 元年(一六五二)
一月、柳営連歌、一一日に式目を変更以後、幕府瓦解まで続く。
二月、宗因、菅家神退七五〇年忌万句を興行。
三月、『尾陽発句帳』刊、尾張俳壇俳書の囁矢。
一二月、『若狐』刊、井筒屋(表紙屋)庄兵衛刊行俳書の囁矢。
書『十寸鏡』園定参六月、若衆歌舞伎禁止。九月一八日改元。
承応 二年(一六五三)
一一月、貞徳八十三才没、生前、『貞徳独吟』を遺す。
西武・正章(貞室)ら、後継を争う。
卜養、将軍に見参を許され、江戸に居宅を賜る。
この年、任ロ、西岸寺住職となる。
書『貞徳終焉記』『美作道日記』
参一月、玉川上水の工事着工、翌年完成。
承応 三年(一六五四)
一月、正章、貞徳後継を意識し貞室と改号。
一〇月、宗因、重頼らと百韻興行。
書『承応三年平野熊野権現千句』『伏見千句』
参三月、土佐光起、絵所預となり土佐派を再興。
七月、明憎隠元、長崎に来航。
明暦 元年(一六五五)
書『紅梅千句』『信親千句』『毎延俳諧集』『夜のにしき』
参四月一三日改元。この年、山崎闇斎、京都で講義を始める。
明暦 二年(一六五六)
一月、長式『馬鹿集』刊、令徳・貞室を批判。俳壇にわかに活発
化。同月、休安『ゆめみ草』刊(奥)、守武流を標榜し、反貞門
勢力の大阪・堺・伊勢俳壇が結集。宗国風流行の素地となる。
三月、季吟、祇園社頭で俳諧合を催し宗匠として独立、貞室を
攻撃。『いなご』刊(序)、絵俳書の嚆矢。
九月、宗因、天満碁盤屋町向栄庵に入り俳諧月次会を主催。
書『祇園奉納誹諧連歌合』『玉海集』『口真似草』
『崖山土塵集』『拾花集』『せわ焼草』『有芳庵記』
『吉深独吟千句注』
参汀松平直矩『大和守日記』執筆始まる(元禄八年まで)。
明暦 三年(一六五七)
一一月、蝶々子『物忘草』刊、江戸俳家による撰集の嚆矢。
この年、『嘲哢集』刊、『守武千句』を基準とする伊勢俳壇の式
目書。
書『牛飼』『沙金袋』『春雨抄』
参一月、江戸大火。遊廓新吉原に移る。
二月、徳川光圀、『大日本史』編纂に着手。
万治 元年(一六五八)
書『鸚鵡集』『尾張八百韻』『拾玉集』『俳諧進正集』
参七月二十三日改元。
七月、中川暮雲『京童』刊。
万治 二年(一六五九)
九月、胤及『飽屑集』刊(跋)、中国地方俳書の嚆矢。
この年、風虎、発句初見。江戸において諸流に門戸を開き文学
サロンを形成。
書『伊勢俳諧新発句帳』『捨子集』『貞徳百韻独吟自註』
『満目集』
万治 三年(一六六〇)
七月、『境海草』刊、堺俳壇撰集の嚆矢。
重頼『懐子』で、本歌本説取りの新風を掲げ、宗因の謡曲調を
紹介。
一二月、宗賢ら『源氏鬢鏡』成、俳家系図の嚆欠。
万治年間、河内国の重興、雑俳の起源となる六句付創案。
書『歌林鋸屑集』『木間ざらひ』『新続犬筑波集』
『誹諧画空言』『俳仙三十六人』『百人一句(重以編)』
『慕綮集』『和歌竹』
参一九月、内海宗恵『松葉名所和歌集』刊。
一二月、大蔵虎明『わらんべ草』成、能と狂言を連歌・俳諧の
関係に譬える。
このころ、浅井了意『東海道名所記』成。
寛文 一年(一六六一)
この年、在色、江戸へ下向、忠知に俳諧を学ぶ。
書『烏帽子箱』『思出草』『天神奉納集』『へちま草』
『弁説集』『水車・水車集』
参四月二五日改元。
寛文 二年(一六六二)
この年、西鶴、俳諧点者となる。
書『伊勢正直集』『雀子集』『旅枕』『俳諧小式』『初本結』『花の露』『鄙諺集』『身楽千句』
参二月、伊藤仁斎、京に古義堂開設。
寛文 三年(一六六三)
八月、一雪、『俳諧茶杓竹・追加幅紗物』刊、『正章千句』を攻
撃。貞室側は翌年六月刊『蝿打』で反撃する。
書『埋草』『尾蝿集』『木玉葉』『早梅集』『貞徳誹諧記』
『誹諧忍草』『俳集良材』『破枕集』
参五月、「武家諸法度」に殉死禁止を加える。