『大阪獨吟集』(延宝3年 1675)
日本俳書体系(大正15年 1926) 神田豊穂氏著 一部加筆
外題
談林派を起した大坂の西山宗因はもと武士で、遁世後は禅もあり、里村流の連歌を好くしたが、『和蘭丸二番船』の獨吟、「今筑波や鎌倉宗鑑が犬桜」の発句でも解るように、頗る洒落な心境で、どうせ戯れの俳諧をするなら貞門の掟を守るより、宗鑑の『犬筑波』を常世風に行かう程度の野心を持ってゐたに過ぎないから、世間に名前の出るのも割合に後れて、談林派がつひに貞門を俚壓倒する勢ひの延宝時代には、もう七十の坂を越えた老翁であった。が、流石に『大坂独吟集』の評語を見ても頷かれるように、注も若い気持で言葉も洒落れたもので、老人めいた一徹な頑固なところはちっともない。
その芸術的にいつも水々しい若さ、鋭さ、奇抜さ、そして気分の新しさが、奔放な談林調となって流行したので、『大坂獨吟集』はまさに宗因一派の頂点にあらわれたのである。集中の作者は彼の早口で覇気のばかに強い西鶴の鶴永や、女人形の来山の義父山平や、幾音や、重安や、悦春や孰れにしても大坂方の中堅分子で、その一人々々が技量の限り見せた百韻十巻に對し、宗因がすべて引墨して、ねんごろな句評を施したものなので、一巻といへども迂潤に見落されない代表俳諧である。
外題の下に西山宗因点取とあるのは、宗因がその意に叶った句のかしら平點及び長點を引掛けた巻々をさしたので、後世行はれた點〆落巻のごとき坐興式の點取の事ではないであらう。その平點はついと斜めに軽く筆を落したもので、長點ははその上にさらにちょんと點を置いたもので以て、點の高下を示し、巻毎に愚墨何句、そのうち長何句と通算して記すのが通例なので、宗因もそれに倣つてゐる。點数の多寡からいへば未學の六十二句・長廿六句が最高で、悦春の四十八句・長廿一句がどん尻であるが、そればかりで人物価値を判する譯にはいかない