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武田 佐久攻略
武田 佐久攻略 天文九年(1540) 信玄、二十歳 長野県南佐久郡・小県郡・佐久市・上田市周辺 対戦武将 海野棟綱・真田幸隆 五月十一日、信虎・晴信父子は、約八千の騎馬隊を率いて急遽、信州佐久地方を襲い、一日に三十六の城を攻め落とした。さらに武田軍は小県郡の海野、爾津、真田、滋野一族を攻め、同月十三日、尾山城(小県郡丸子町)を落とし翌日、海野平(同郡東部町)を占拠した。...
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武田信虎は暴君か『武田信玄百話』坂本徳一編 一部加筆 武田信虎は、悪逆無道の暴君だったという。『武田三代記』によると、信虎は妊婦の腹を裂いて胎児を見たいと言い出した。妊娠したばかりの女から臨月の女まで十人の腹を裂いて、胎児の性別を調べた。領民たちは恐れおののき、老臣が諌言すると、その者を手討ちにした。...
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南アルブスの北端に響える鋭峰甲斐駒ケ岳開山に秘められた伝説と史実『歴史読本』「歴史の旅 特集 ふるさとの山河」昭和44年8月号 藤森栄一氏著 一部加筆「駒ヶ岳講、そうだ、その開山だ」権三郎初登攀(尾白川溯上)に失敗総領の亀次郎を家事に、今右衛門は幼い次男権三郎の訓育に打ち込んだのはそれからである。...
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