日本陸軍 軍歌集
日本陸軍 軍歌集日本陸軍 大和田 建樹作詞 深沢 登代吉 作曲一 出陣天に代りて不義を討つ 忠勇無双のわが兵は 歓呼の声に送られて今ぞ出で立つ父母の国 勝たずば生きて還らじと 誓う心の勇ましさ二 斥候あるいは草に伏し隠れ あるいは水に飛び入りて 万死恐れず敵情を視察しかえる斥候兵 肩に懸れる一軍の 安危やいかに重からん三 工兵道なき方に道をつけり 敵の鉄道うち毀ち...
View Article日本陸軍 軍歌集 歩兵の歌
日本陸軍 軍歌集 歩兵の歌一、万菜の桜か襟の色 花は吉野に嵐吹く 大和男子と生まれては 散兵線の花と散れ 二、尺余の銃は武器ならず 寸余の剣何かせん 知らずやここに二千年 鍛え鍛えし大和魂 三、軍旗を守る武夫は すべてその数二十万 七十余ケ所に屯して 武装は解かじ夢にだも 四、千里東西波越えて われに仇なす国あらば 港を出でん輸送船 しばし護れよ海の人 五、敵地に一歩われ踏めば...
View Article古代 天皇の即位・退位は誰が決めた?
天皇の即位・退位は誰が決めた?『歴読本スペシャル』特別増刊86-11「日本史そこが知りたい」 野村忠夫氏著 一部加筆 奈良時代つまり律令国家体制下の天皇の即位は、天智天皇が定めたとされる「不改常典」(カハルマジキ、ツネノノリ)を基調として展開された。この 「不改常典」の内容については諸説が対立しているが、やはり直系相承を基盤にした譲位の方式であったと理解すべきであろう。具体的にみることにしよう。...
View Article武田 韮崎合戦
武田 韮崎合戦 天文七年(1538)信玄、十八歳 山梨県韮崎市 韮崎町塩川河原 対戦武将 諏訪頼重・小笠原長時七月十九日、信州の諏訪頼重、小笠原長時、伊那の家族の連合軍九千六百余が甲州へ越境、韮崎の河原で晴信の武田軍と合戦。一日に四度激突したが武田軍の猛攻の前に信州軍は二千七百四十八の遺体を置き去りにして退去した。〔注〕晴信二番手柄は『甲陽軍鑑』の記載が原本になっている。
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