武田 海尻の合戦
天文九年(1540) 二十歳
長野県南佐久郡南牧村
城将 平賀源心
一月十六日、晴信は板垣信形ら約五千の武田軍を統率して三方から海尻城に攻め込み、難なく城を奪った。小山田信有を城将とする武田軍五百余を残して甲府へ引き揚げたが、同月三十日未明、敵勢が城を奪還しょうと攻め寄せた。奇襲を知った晴信、ただちに行動を開始して正午ごろ、城を包囲した敵軍に攻め入り三百十三人を討ち取って追い払った。
晴信、警固のため城に数日逗留して二月七日ごろ甲府へ帰陣した。
〔注〕海尻合戦は『甲陽軍鑑』が原本。信憑性は薄い。