武田 佐久攻略
天文九年(1540) 信玄、二十歳
長野県南佐久郡・小県郡・佐久市・上田市周辺
対戦武将 海野棟綱・真田幸隆
五月十一日、信虎・晴信父子は、約八千の騎馬隊を率いて急遽、信州佐久地方を襲い、一日に三十六の城を攻め落とした。さらに武田軍は小県郡の海野、爾津、真田、滋野一族を攻め、同月十三日、尾山城(小県郡丸子町)を落とし翌日、海野平(同郡東部町)を占拠した。
この合戦で海野棟綱、真田幸隆は上州平井郷(群馬県藤岡市)の関東管田上杉憲政を頼って逃げた。佐久の豪族禰津元直、矢吹綱重らは武田軍に降伏した。
〔注〕『甲陽軍鑑』が原本だが、『塩山向岳禅庵小年代記』『妙法寺記』にも詳しく記述されている。