甲斐甲府 八の宮と遊女三芳野の悲恋
甲斐甲府 八の宮と遊女三芳野の悲恋「八の宮、おうみ(河海)に契り深きゆえ、その行先も、甲斐の国なり。」いまから三二〇年前、京洛の町々にこんな歌が流行していた。二品良純親王が、京の遊廓で遊興にふけり遊女阿海と浮き名を流し、ついにご乱行のすえ甲州の天目山(知恩院史)に配流されたところから生まれた俗謡である。...
View Article「甲斐路」の始まり」かりそめのゆき甲斐路とを思ひしに今はかぎりの門出なりけり
899年 昌泰二年在平業平の二子滋春、和戸村(甲府市)で病に倒れ、使者に託し母に歌をおくる「かりそめのゆき甲斐路とを思ひしに今はかぎりの門出なりけり」文献上「甲斐路」と初めて使われたもの
View Article男色好きの犬公方 徳川綱吉&柳沢吉保
男色好きの犬公方 徳川綱吉&柳沢吉保『話のタネ本 日本史』村松駿吉氏著 日本文芸社 一部加筆男色は当時の〝人づくり〟だった 寛永十六年(1639)公家の六条有純の娘のお梅が尼となって、伊勢の内宮慶光院の住職となり、その挨拶のために江戸城へやってきた。このお梅についてきた下脾に、お玉という十三歳の少女があった。...
View Article小野金六(おのきんろく)韮崎市
小野金六(おのきんろく)韮崎市1852(嘉永5)・8・18生れ-1923(大正12).3.11歿。甲斐国巨摩郡河原部村(韮崎市)の名主で酒造業を営む富屋(小野家)の2男として生まれた。幼名金六郎、初め家業に従事、1873(明治6)年上京して、小野組にはいったときから実業に志を立て、1880(明治13)年第十5銀行へ入社、間...
View Article小野里平(おのさとへい)南アルプス市
小野里平(おのさとへい)南アルプス市『山梨百科事典』山梨日日新聞社 一部加筆 1882(明治15)・1・15生れ-1955(昭和30).6.29歿。山梨県若草町鏡中条の土木建築請負業小野丑松の2男として生まれた。...
View Articleお万の方(おまんのかた)身延山信仰
お万の方(おまんのかた)身延山靈屋『山梨百科事典』山梨日日新聞社 一部加筆 1548(天文17)生-1619(元和5)・12.6歿。将軍徳川家康側室、越前守秀康(越前家の祖)の生母。遠州引佐郡産女村三石衛門の孫娘(永見志摩守の娘)で、初名をお万といい、のちに小督局という。家康浜松城に在城のとき、城中に奉公、はじめは家康の側室、築山殿関口氏に従い、城中奥勤の間で家康の...
View Article甲州街道の宿 藪の湯みはらし 合宿 研修 地域散策
薮の湯 みはらし - 宿泊予約は<じゃらん>大村記念館より10分山高神代桜から5分日向山登り口まで20分台ケ原宿から10分
View Article北杜市宿は「みはらし」 白州観光案内
薮の湯 みはらし - 宿泊予約は<じゃらん>絶景 薮の湯 みはらしの料金・宿泊プラン - トクー!北杜市武川町柳沢 藪の湯みはらし神代桜桜並木
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