小野晴五郎(おのせいごろう)
『山梨百科事典』山梨日日新聞社 一部加筆
1836(天保7).5.12生れ-1869(明治2).10.11歿。
甲斐国岡部村松本(石和町)に三英作の長男として生まれる。幼名を慶造と称した。7歳にして甲府徽典館に学び、平岩学頭によって、江戸へ出て湯島の聖堂に学ぶ。漢学のかたわら洋学を修め、和漢洋学に精通して東都学界に光彩を放った。1866(慶応2)年、小野政智の養子となる。25歳の時、幕府によって英国公使館属員となり、館員に邦学を教授するなど功績があった。
1869(明治2)年、公議所の書記官、修史館で編さんに務め、行政官史官、集義院を設直した際「大主典」に任ぜられるなど公職につき、提案の諸問題を明確にした。1889(明治22)年、甲府市大田町公園(遊亀公園)に記念碑が建てられた。東京都戸塚法輪寺に葬られている。 <斉木高明氏著>