小野田元煕(おのだもとひろ)
『山梨百科事典』山梨日日新聞社 一部加筆
1848(秦永1)・2.11生れ1919(大正8).6.12歿。
群馬県館林町番外430番地(館林市)生まれ。士族三五郎義子。
1871(明治4)年東京府第5大区13小区取締小頭、同5月通称貞治を元煕と称す。
1875(明治8)年浅草町署長、1877(明治10)年、西南役に田原坂に戦い熊本入城、川路旅団長配下陸軍歩兵中尉として薩摩、大隅、日向に転戦、勲6等旭日章。1879(明治12)年1月、川路大警視に随行、欧米の警察監獄消防制度を研究、帰朝後一等警視。1885(明治20)年、小笠原島司などを経て内務省警察局長、同年7月オーストリアハンガリー皇太子の護衛長、1897(明治30)年4月、茨城県知事を経て翌年6月25日、第12代山梨と県知事となる。知事職1年3カ月で1899(明治32)年8月静岡県知事に転出。
山梨県在任中の1898年9月の大水害による峡北大泉、新富(武川村)、韮崎の復旧に尽くした。後、香川県などの知事を歴任、日露戦の功績で勲一等旭日大綬章をたまわる。1910(明治43)年、老齢で退官するまで知事在職13年に及び、貴族院勅撰議員、正3位、翌年錦鶏間祇候、日本赤十字社評議員並びに理事。「館林市史」に登載された伝記などがある。<鈴木喜太郎氏著>