転封の記録保持者
『歴史と旅』「特集日本史の謎50選」昭和53年6月号
大名の転封(国替え)は、生涯のうち多くともせいぜい二、三回というのがふつうだが、白河十五万石の松平直矩は前後五回という記録の保持者である。
寛永18年(1641)に松平大和守直基の長子として越前大野城に生れた直矩は、慶安元年(1648)父の遺領姫路十五万石の家督を継ぐ。だが、姫路は要害の地ということで、同2年6月、越後村上へ転封。その後、江戸城の修複などを勤め、幕閣の要路に懇請して、寛文7年六6月、再び姫路に戻ったところが、天和元年(1681)宗家越後高田藩に起こった継嗣問題(越後騒動)に連坐して開門を申付けられ、同2年2月、赦免されたものの半知の豊後日田藩(7万石)に転封された。その後、出羽山形藩(10万石)を経て、元禄5年(1692)ようやく陸奥白河藩主として15万石に復したものの、同8年4月、55歳でめまぐるしかった生涯を閉じた。(続藩翰譜)