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白州町水害の歴史 明治・大正
明治以降 白州町水害の歴史○明治二年(一、八六九年)釜無川・尾白川 ・釜無川通上教来石村、(堤防切所延長一三〇問、中聖牛一入組、中枠一〇組流失、甲信境橋(現国堺橋)流失、往還押掘三五〇間、田畑損地八反歩)。下・教来石村(堤欠所長六問、中聖牛三組、菱牛一四組、大川倉三組流失)。・白須村(自普請所切、田畑損失六町。・台ケ原村(釜無・尾白両川満水、田畑損地二町三反)...
View Article白州町水害史 ○昭和九年 ~昭和三三年
○昭和九年 (一、九三四年) 台風 雨量九月十八日~二十一日 計九六・九ミリメートル。 この台風は超大型室戸台風の余波で県の被害はたいしたこともなかったが、室戸台風による被害は全国で死者行方不明三、〇三六、家屋全壊三八、七七一、流失四、二二七という大きなものであつた。 ○昭和十年 (一、九三五年) 台風 雨量九月二十一日~二十六日 計四一九・五ミリメートル。 時間降水量は明治二十九年・昭和三年...
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