○昭和九年 (一、九三四年)
台風 雨量九月十八日~二十一日 計九六・九ミリメートル。
この台風は超大型室戸台風の余波で県の被害はたいしたこともなかったが、室戸台風による被害は全国で死者行方不明三、〇三六、家屋全壊三八、七七一、流失四、二二七という大きなものであつた。
○昭和十年 (一、九三五年)
台風 雨量九月二十一日~二十六日 計四一九・五ミリメートル。
時間降水量は
明治二十九年・昭和三年 五・七ミリメートル
明治四十三年 五・一ミリメートル
明治四十年 五・〇ミリメートル
明治三十九年 二・七ミリメートル
昭和十年七・五ミリメートル 明治三十一年七・四ミリメートル、
両年の水害の激しさがうかがえる。
甲府の豪雨記録
昭和十年、 四一九・五ミリメートル
明治四十三年 四一二・七ミリメートル
明治二十九年 三九四二一ミリメートル
昭和十三年 三九〇・五ミリメートル
明治四十年 三一六・九ミリメートル(山梨県政六十年誌)
であり、明治四十年以来の大水害といわれ、県西部に集中し、特に荒川、塩川流域の被害が大きく県下の土木被害のみで五六六万四一九五円で現在の価格に見積ると約一三億円、全体被害額は一、〇〇〇万円にも達する、このうち橋梁の流失は一三一と目立っている。
○昭和二十年 (一、九四五年)
前線・台風 雨量、十月三日~五目 計三〇八・二ミリメートル。
敗戦の年昭和二十年は二度の大きな台風によって、米作が致命的な損害を受け、米の実収は四〇〇〇万石台に下がり、明治三十五年以来の大凶作となった。
○昭和二十二年 (一、九四七年)カスリン台風
雨量、九月十二日~十五日 計三一〇・七ミリメートル。
降雨の中心が御坂山系といえば、四十年前の明治四十年の大水害もそうであって災害は甲府より東部に著しかつた。県下の被害総額五億円を突破する。
○昭和二十三年 (一、九四八年) アイオン台風
雨量、九月十五日~十六日 計二五五・一ミリメートル。
釜無川で穴山橋から下流の被害が目立った。
○昭和二十八年 (一、九五三年)一三号台風
雨量、九月二十三日~二十五日 計四七・〇ミリメートル。
愛知、三重、和歌山県をはじめ東海、近畿地方に甚大な被害を与えた。一三号台風の影響を強く受けたのは早川入だけのようである。
○昭和三十三年 (一、九五八年) 狩野川台風 武川
雨量、九月二十二日~二十六日 計一八三・九ミリメートル。
二二号(狩野川台風)県下を襲う、中央線また断つ、堤防決壊の武川村では本年に二一、二二号台風による災害があった。特にこの年は、降雨量の割合には大武川が増水し、大武川橋上流においては一部人家の浸水などもあり、いわゆる「山梨の鉄砲水」にあらためて驚いた。