武川町 精進ケ滝(史跡と文化財『武川村誌』一部加筆)
武川町 精進ケ滝(史跡と文化財『武川村誌』一部加筆) 山梨県は周囲が山に囲まれ、国立公園が三つ、国定公園が一つあり山紫水明で、自然の景観は全国屈指である。 本村は南アルプス国立公園の懐に位置し、この山々から発する大武川、小武川、石空川には大小幾つかの滝または名港がある。 なかでも精進ケ滝は落差一二一メートルあり東日本第一といわれ、武川村としては名勝の一つとして第一等に誇れるものである。...
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武川町、国指定文化財 天然記念物 神代桜 武川村には大武川を境として左岸に舞鶴松、右岸には神代桜がある。この松と桜はいずれも日本一という折紙付きの天然記念物として、今日あるのは、武川村の自然環境がいかに良いかを物語っているといえよう。 山高実相寺の神代桜(大正十一年十月十二日指定)...
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武川村(町)指定文化財 武田勝頼印判状 「黒沢山大堺之事」一木家所有武田勝頼印書他(未指定)武川村(町)指定文化財 一南ハ判行之道より八町庄司みつなぎより北ハ黒沢分として、莫原下道より石うとろわたは、石塔烏帽子石大武川切ニ南ハ黒沢分也 天正九年辛巳八月廿日 (獅子朱印)...
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武川衆下之郷起請文(長野県上田市 生島足島神社) 永禄10年 丁卯(1567)8月7日 六河衆(武川衆)の馬場信盈らが六郎次郎(武田信豊)を介し、武田信玄に起請文を捧げる。〔懸紙〕(ゥハ書)「 青木 山寺 柳沢 六河衆丁卯 八月七日六郎次郎殿」(武田信豊)馬場小太郎信盈 (花押) (血判有り)青木与兵衛尉信秀(花押) (血判有り)山寺源三昌吉 (花押)宮脇清三種友 (花押)...
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武田勝頼、宮脇清三種友の二子に知行増分解説(武川村誌 佐藤八郎氏著)天正八年庚辰(一五八〇)三月二日 武田勝頼が尾沢縫右衛門尉・斎木作之丞兄弟に知行を与える<読み下し> 依田左近助知行、牧原の隠物の事、申し上ぐる如く増役せしめ、改出の内、六貫文の所、三貫文宛を御重恩として宛行われ睪んぬ。ていれば相当の軍役、疎略有るべからざるの由、仰せ下さるる所なり。仇って件の如し。 天正八年庚辰三月二日...
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武川筋黒沢山大堺之事解説(武川村誌 佐藤八郎氏著) 天正九年辛巳(一五八一)八月廿日 武田勝痛が武川筋黒沢山の境界を裁定する<読み下し> 黒沢山大堺の事一 南は判行の道より八町 庄司 みつなぎより北は黒沢分として 其原下道より石うとろ(空)わたは 石塔 烏帽子石 大武川切りに 南は黒沢分なり<解説>...
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徳川家康 小沢善大夫本領替地安堵状解説(武川村誌 佐藤八郎氏著) 天正十年壬午(一五八二)十二月七日 徳川家康が武川衆の領袖折井次昌の部下小沢善大夫に与えた本領替地安堵状<読み下し>甲州柳沢の内...
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徳川家康 甲斐武川次衆定置注文 解説(武川村誌 佐藤八郎氏著)徳川家康の甲斐武川次衆定置注文(朱印・印文福徳)「○武川次衆事曽雌藤助 米蔵加左衛門尉 入戸野又兵衛 秋山但馬守 秋山内匠助 戸島藤七郎 小沢善大夫 小澤甚五兵衛 小澤縫右衛門尉 小尾与左衛門尉 金丸善右衛門 金丸新三 伊藤信吾 海瀬覚兵衛 樋口左太夫 若尾杢左衛門尉 山本内蔵助 石原善九郎 名取刑部右衛門尉 志村惣兵衛 塩屋作右衛門尉...
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徳川家康 折井九郎次郎宛行状 解説(武川村誌 佐藤八郎氏著) 天正十一年 癸未(一五八三)四月廿六日 徳川家康が武川衆折井九郎次郎に与えた宛行状 甲斐国有野郷内弐拾参貫文 河東内東光寺分拾九貫五百八十文 白須内大輪助三分九百文 甘利上条内散使免弐貫八百文 折井郷寺社領壱貫弐百七十文余 武田宮地内五味分弐貫四百四十文余等之事右、所宛行 不可有相違之状 如件天正十一年...
View Article徳川家康 折井次昌所領宛行状
徳川家康 折井次昌所領宛行状 解説(武川村誌 佐藤八郎氏著) 天正十三年 乙酉(一五八五)五月廿七日 徳川家康が武川衆折井次昌に与えた所領宛行状「本領改替...
View Article甲斐駒ヶ岳は横手村修験当山派本良院によって開山
甲斐駒ヶ岳は横手村修験当山派本良院によって開山 巨摩郡横手村 当山派修験宗格院 本良院由緒明細書上帳 最近、南アルプスエコパーク登録以降、甲斐駒ヶ岳開山200年を謳った新聞記事や北杜市内では講演会や記念誌や関連書や企画が多くなってきた。 しかしそうした記事の中心は開山者権三郎とそれを支えた某家、神社の略歴が中心であり、権三郎の出生地の茅野市上古田村の遺跡も見直されている。...
View Article徳川家康 折井九郎次郎次忠所領検地
徳川家康 折井九郎次郎次忠所領検地 解説(武川村誌 佐藤八郎氏著) 天正十七年 己丑(一五八九)十一月二十一日 徳川家代官伊奈熊蔵が武川衆折井九郎次郎次忠の所領を検地し、従前の貫高を石高にして書立を交付する 「甲州御知行書立一 百四拾壱表壱斗四升九合六勺三才 北武田之郷内ニ而一 五拾八表五升三勺七才 水上郷内ニ而 合弐百俵 ○(黒印) 右之分 可被成所務候...
View Article徳川家康 武川衆二十四士重恩之惣目録
徳川家康 武川衆二十四士重恩之惣目録解説(武川村誌 佐藤八郎氏著) 天正十八年 庚寅(一五九〇)正月廿七日 武川衆二十四士重恩之惣日録(折紙)「 御重恩之地 一、仁百表 馬場勘五郎○ 馬場勘五郎、美濃守信春の子、民部信義をいう。 一、仁百表 曲渕玄長 ○ 曲渕玄長、勝左衛門吉景をいう。一、仁百表 青木尾張 ○ 青木尾張、尾張守信時をいう。一、仁百表 青木弥三左衛門 ○...
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