武田勝頼、宮脇清三種友の二子に知行増分
解説(武川村誌 佐藤八郎氏著)
天正八年庚辰(一五八〇)三月二日
武田勝頼が尾沢縫右衛門尉・斎木作之丞兄弟に知行を与える
<読み下し>
依田左近助知行、牧原の隠物の事、申し上ぐる如く増役せしめ、改出の内、六貫文の所、三貫文宛を御重恩として宛行われ睪んぬ。ていれば相当の軍役、疎略有るべからざるの由、仰せ下さるる所なり。仇って件の如し。
天正八年庚辰三月二日 曽祢河内守 これを奉わる
追って、累年勤め来る土貢・諸役等、聊かも無沙汰有るべからざる事。吾等に下し置かる増分の意趣を以て、百姓困窮せしめば、本年具の減らざるように、相償うべきものなり。
尾沢縫右衛門尉
斎木作之丞
<解説>
宮脇村を知行地とする武川衆の将、宮脇清三種友の二子、尾沢縫右衛門尉と斎木作之丞兄弟に対し、天正八年三月二日、武田勝頼の命を奉じた曽祢河内守は、兄弟平素の忠節に対する賞として、武田家臣団中の信州先方衆依田左近助(名は信吉)が牧原村に有する知行地検地の結果、発見された隠物(かくしもの、隠田に同じ)六貫文を両人に三貫文宛賜わる旨を知らせ、なお追而書きで増分を賜わった趣旨を服麿し、かりそめにも百姓を困窮させるようなことがあってはならない、と戒めたもの。