徳川家康 小沢善大夫本領替地安堵状
解説(武川村誌 佐藤八郎氏著)
天正十年壬午(一五八二)十二月七日
徳川家康が武川衆の領袖折井次昌の部下小沢善大夫に与えた本領替地安堵状
<読み下し>
甲州柳沢の内 加藤分三賞文
貫文等の事
右、本給の改替、相違有るべ、
<解説>
小沢善大夫は武川衆の一員で、この日から四日後の三月二日に家康によって武川次衆に列せられている。本衆ともいうべき折井次昌・米倉忠継・山高信直らの階層に次ぐ格式を持つ衆という意味であろう。この安堵状は善大夫に宛てたものであるが、折井次昌が善大夫に代って拝領し、以後も折井家に保管されてこんにちに至っている。
本文のうち、柳沢の内加藤分、牧原の内飯田分、同所(牧原)の山口分、というのは、武田時代の本給を改替して今度新たに知行地になった所という意味である。上記三か所合わせて九貫文の地である。