全国・関東任侠番付け 明治25年『任侠客有名鏡』武居の吃安他
甲斐の任侠人前頭 甲斐 武井安五郎(武井の吃安)前頭 甲斐 身延の半五郎前頭 甲斐 黒駒の勝蔵前頭 甲斐 祐天仙之助 甲州 甲府の玉五郎 甲州 石和の万五郎 甲州 三井の卯吉 甲州 石和の虎五郎 甲州 鬼神喜之助 甲州 小天狗亀吉
View Article山梨文学講座 山口素堂の実像 素堂は甲斐に生まれていない
山梨文学講座山口素堂の実像素堂の姓名と号素堂は官兵衛を名乗っていない素堂は市右衛門を名乗っていない 山口素堂の伝記は概ね文化十一年に編まれた『甲斐国志』の記述が基になって現在まで各書に紹介されている。...
View Article**芭蕉水役について 『増訂 武江年表』昭和43年刊
**芭蕉水役について 『増訂 武江年表』昭和43年刊 (斎藤月岑著・金子光晴校訂 東洋文庫116 平凡社 ) 一部加筆 承応二年(一六五三)...
View Article**山口素堂**内田魯庵『芭蕉庵桃青伝』
**山口素堂**甲斐国志参考記事こうした間違った記事が素堂誤伝につながっている。(内田魯庵『芭蕉庵桃青伝』より抜粋 一部加筆)...
View Article◇延宝 六年(1678)☆素堂37才 芭蕉、35才
◇延宝 六年(1678)☆素堂37才 芭蕉、35才 *** 素堂の動向 ***素堂、〔号 来雪〕☆三月下旬 江戸八百韻 高野幽山編○幽山江戸で立机する。信章(素堂)が後援する。 何踊 ・白い椎子音いかしらの山見ゑて 何笛 ・山寺や三千三百三十三 何子 ・後の花大師の粥も過しより木何 ・茶の花や利休が目には吉野山 ・雁鳴て其後座敷になほる月 赤何 ・飛鳥川たとへば爰にかし座...
View Article◇延宝 七年(1679)☆素堂38才 芭蕉、36才
◇延宝 七年(1679)☆素堂38才 芭蕉、36才*** 素堂の動向 ***☆四月、『富士石』発句二入集。岸本調和編。 此ごろの龜を二万の里唐津と申せ君が春 来雪かな文や小野のお通の花薄...
View Article山口素堂は甲斐の生まれではない
素堂翁の出生と甲斐について佐々木来雪 三世素堂襲号記念集 『連俳睦百韻』を読む。 俳諧大辞典 俳諧撰集。三世満堂編。安永八年(1779)秋。西村源六刊。不二山人百庵道阿序。(寺町百庵のこと)晦丘庵欠歯道人祓。佐々木一徳の来雪庵三世素堂襲号記念集。云々...
View Article山口素堂と甲斐魚町酒造業山口屋の関係 無関係
山口素堂と甲斐魚町酒造業山口屋の関係 無関係 素堂の家は甲斐府中魚町於いて酒造業を営むと諸書に紹介されているが、これは昭和初期の功刀亀内の『甲州俳人伝』に寄るものであり、素堂が生まれた寛永十九年(1642)以降酒造は冬の時代に入っている。当時の酒造は自由に造ることはできずに幕府の厳しい監視下に於かれていたのである。それがどんなものであったか次に示す。...
View Article山口素堂 貞享3年 丙寅 1686 45才
貞享3年 丙寅 1686 45才 貞享3年 丙寅 1686 45才世相幕府 閏三月、利根川西を武蔵とし、東を下総と定め給ひ、葛飾郡二カ国に分る。(両国橋より東深川本所の地は、葛飾郡西葛西領にして、上代武蔵国になりしが、今年昔のごとく武蔵国に属せしめ給へり)九月に旗本奴の集団の大小の神祇組の二百余人を追補し、その首領十一人を斬罪に処した。四月、日数改正。忌日養父母...
View Article素堂、秋、芭蕉に「四山瓢名」を与える。
素堂、秋、芭蕉に「四山瓢名」を与える。一 瓢重泰山 自笑稱箕山慣首陽山 這中飯顆山一書… 〔莫慣首陽餓〕素堂自筆懐紙……『蕉影余韻』所収。瓢銘 芭蕉庵家蔵(右の四山瓢名)貞享三年仲秋後二日 素堂山子書(貞享三年八月二十二日)芭蕉……「瓢の銘」読み下し一瓢は泰山より重く 自ら笑って箕山と称す首陽は餓に慣ふことなかれ...
View Article素堂と芭蕉 野ざらし讃唱 正しい解釈
素堂と芭蕉 野ざらし讃唱 正しい解釈▼芭蕉、『野ざらし紀行』千里に旅立てみち粮をつゝまず、三更月下無何に入と云けむ、むかしの人の杖にすがりて、貞享きのえね秋八月江上の破屋を出るほど、風のこゑそゞろ寒げなり。 野ざらしをこゞろに風のしむみかな...
View Article歌舞伎役者・市川団十郎と俳諧
市川団十郎について山梨県三珠町は歌舞伎の市川団十郎の発祥の地であると云い、立派な歌舞伎会館建っている。『近世奇跡考』によれば、江戸の俳優市川団十郎は堀越重蔵といふ者の子なり。慶安四年辛卯(1651)、江戸に生まれる重蔵は下総国成田の産(或云、佐倉播谷村の産、役者大...
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