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Channel: 北杜市ふるさと歴史文学資料館 山口素堂資料室
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◇延宝 六年(1678)☆素堂37才 芭蕉、35才   

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◇延宝 六年(1678)☆素堂37才 芭蕉、35才   
 
*** 素堂の動向 ***素堂、〔号 来雪〕
☆三月下旬 江戸八百韻 高野幽山編
○幽山江戸で立机する。信章(素堂)が後援する。
  何踊 ・白い椎子音いかしらの山見ゑて
  何笛 ・山寺や三千三百三十三
  何子 ・後の花大師の粥も過しより
木何 ・茶の花や利休が目には吉野山
     ・雁鳴て其後座敷になほる月
  赤何 ・飛鳥川たとへば爰にかし座
 
☆八月 江戸新道 紫藤軒 池西言水
夏部 ・目には青葉山郭公はつ鰹      来雪
     ・峠涼し興の小島の見ゆ泊り      々
秋部 ・鬼火や入日をひたす水の物      々
冬部 ・世中の分別者やふぐもどき      々
 
▼素堂消息「目には青葉山郭公はつ鰹」
《註》目には青葉の旬、評-…『俳諸古今抄』支考著。
「目には--」は武江の素隠士が鎌倉の吟行なり。されば此旬の称する所は、目にと語勢をいひ残して、目に口と心をふくめたる、さるは影略互見の法にして、これを三段の地としるべし。
《註》目には青葉の句、評…:『俳論』土田竹童著。
「切字の弁」はいかいの項。
「目には青葉」「耳には山ほとゝぎす」「口にはつ鰹」といづれも珍しきをならべて、これよこれよとこたへたるにその語分明なるものなり。
《註》幸田露伴評
素堂は山口氏、葛飾風の祖なり。芭蕉これを兄事せるが如し。故を以てこは芭蕉が師事した季吟の次に置けるなるべし。句は眼、耳、舌の三根に対して同季の三物を挙げて列し、以て初夏の心よきところ奮言へり。
一句中に同季のもの挙げて其主題の明らかならぬは忌むところなれど、それらの些事を超越して豪放に言放てるが中に微妙の作用ありて人おのづからにほとゝぎすの句なることを感ずるは、霊妙といふべし。青葉と云ひて、ほとゝぎすと云ひたる両者の間の山の語、青葉にもかゝりて、絲は見えねど確と縫ひ綴められあり、ほとゝぎすといひて、堅魚(鰹)といひたる間の初の語、堅魚には無論にかゝりて、又郭公は何時もこれを待つこと他の鳥ならば其初音に焦るゝ如き情けあり。既に郭公はつ鰹、と云ひかけたる素性法師の歌も古今集巻三にあり。かゝる故に暗に郭公にもかゝりて、是亦両者を結びつけて隙間無く、しかして郭公青葉と堅魚の其中心に在りておのづから主位たるの實を現わし、一句を総べて揮然一體、透徹一気に詠じ去れり。是の如きを天衣無縫とは云ふなり。素堂の気象の雄なる、偶然にして是の如き句の成れるに至りしにもあるけれど、其人治水の功を立てゝ甲斐の國には生祠を建てられ、又他の一面には茶道に精しくして、宗偏の茶道の書に求められて序を爲れる
ほどの隠士なれば、雄豪一味のみにてかゝる句を得たるにもあらじと思はる。(『評釈□野上』所収昭和十一年刊)
 
☆江戸広小路 岡村不卜編
     ・峠涼し沖の小島のみゆ泊り
★同年夏以降九州に向う。翌年の暮春ころに江戸へ戻る。
宮島にて ・廻廊や紅葉の燭鹿の番    
〈(誹枕)(廻廊に汐みちくれば鹿ぞ囁)〉
長崎にて ・珠は鬼火砂糖はつちのごとく
・入船やいなさそよぎて秋の風 (誹枕)
 唐津   ・二万の里唐津と申せ君が春
周防長門 ・胴をかくし年の尾戦ぐ柳哉  (誹枕)
 
*『江戸広小路』俳諧撰集。不卜繍。
延宝六年自序。本書は伝本が稀で、零本上巻は天理図書館・岡田利兵衛蔵、下巻は東大図書館鯛竹庫蔵。上巻には四季発句を類題別に収め、有名な「庭訓の往来誰が文庫より今朝の春」の句を始め、芭蕉初期の十七句を数えることは特筆すべく、なお風虎・露沾・信章(素堂)・幽・似春・言水・杉風・ト尺ら高名俳士が入集し、下巻には、桃青・似春・不卜・調和・幽山・言水・嵐雪・杉風・ト尺らの発句を四季・神祇・釋教・恋・雑に分けて収録し、中にも桃青の付句は二十句に及ぶ。芭蕉研究上の重要な一資料である。
          『俳諧大辞典』 明治書院〔岡田〕
 
▽素堂、来雪号について
『睦百韻』宝暦二年(1755)山口黒露編。       
小叙
 人見竹堂(洞)子、素堂を謂ひていわく、素堂は誰ぞ、山口信章なりと、かゝる古めかしき名ハ、当世知る人もあらず。来雪は前号也。ことし雅君忠久(佐々木来雪)名を改め給ふる。其の旧号心つ□□その高稲の価値をしたひ行く一歩にや。むさし野の草の心がりによると、くりなき□□山なりけり。
(中略)来雪と聞へしは長学集によれる名とぞ
 
*** 芭蕉の動向 ***
一月、歳旦帳を上梓。旧冬来の信徳・信章との三吟三百韻を『江戸
三吟』と題し京の寺田重徳から板行。
一〇月、調和系俳人の『十八番発句合』の判者をつとめる。
『江戸通り町』『江戸新道』『江戸広小路』 『江戸十歌仙』等の俳書に入集。
*** 芭蕉年譜 櫻井武次郎氏著 ***
延宝六年(一六七八) 戊午 三五歳 江戸
○この春、もしくは前年、宗匠立机。
梅人『桃青伝』にこの年の桃青歳旦帳が伝存していた旨、記載がある。七年刊の『富士石』に「桃青万句に」と前書する等窮の春季の発句が収められ(桃青万句興行に関しては、在色『誹諧解脱抄』にもみえる)、この春もしくは前年春、立机披露の万句興行
を催す。白石悌三「編年休評伝松尾芭蕉」は、幽山との不和から自負と生計に迫られ立机を強く望むことになったとする。卜尺や松意派の在色、調和派の尽力や協力があったと思われる。
○旧冬来の信徳・信章との三吟三百韻を『江戸三吟』(弥生中旬奥)と題し、京寺田重徳から刊行。
○秋、松島行脚帰途の京の春澄を迎え、似春を交えて三吟歌仙三巻興行。春澄撰『江戸十歌仙』(霜月仲浣奥)に収まる。
〇冬、信徳・千春と「忘れ草」三吟歌仙興行か。
信徳の動静から五年冬の作とみる説(阿部正美『芭蕉伝記考』)もあるが、越智芙豊子「伊藤信徳年譜稿」(『国語国文』昭38・1)は、信徳が一旦帰京の後千春とともに再び東下したとする。
〇一〇月、調和系俳人の『十八番発句合』の判者をつとめ、「坐興庵桃青」と署名し、「素宜」の印を用いる。志候・木玉らの百韻に加点したのもこの前後か(下垣内和人・檀上正孝「現存最古の芭蕉評点巻ほか二点」『連歌俳諧研究』五〇)。
 
*** 周辺の動き *** 芭蕉年譜 櫻井武次郎氏著
▽宗旦『当流籠抜』 ▽紀子『大矢数』 ▽旨恕『難波風』
▽友雪『大坂檀林桜千句』 ▽西海『大硯』
▽西鶴『物種集新附合』 ▽西鶴『虎渓橋』
▽風虎『五百番自句合』 ▽幽山『江戸八百韻』 
▽常矩『ねざめ』 ▽雪柴『うろこがた』 
○不卜『江戸広小路』 ○春澄『江戸十歌仙』 
▽信徳『京三吟』 ▽橋水『つくしの海』
〇二葉子『江戸通り町』 ○言水『江戸新道』
○惟中、春、大坂へ移居。
○重頼、四月一五日に大坂の保友宅に赴き、宗因・旨恕・政寛を
加えて百韻興行。
○素堂、夏のころに江戸を出立して長崎に向かう。越年して翌年  
暮春のころ江戸帰着。
○宗因、夏、高政宅に招かれ「末茂れ守武流の惣本寺」と挨拶。
〇筑前の西海、秋、京坂を旅行。
○西国、秋に大坂に上る。
○惟中、『俳諧或問』(八月跋)で松意らの江戸談林派を弁護。
著者未詳の『談林俳諧批判』が『或問』を攻撃。
○西鶴と惟中、秋、両吟千句を試みたが二百韵で中断。
○春澄、秋に江戸下向。
○卜養、一二月二六日没(七十二才)。

延宝 六年(一六七八)『俳文学大辞典』角川書店
春、惟中、岡山から大阪に移居。
夏、高政、宗因を招請。「末茂れ守武流の惣本寺」の句を贈られ
て、俳諧惣本寺と名乗り、京都談林の中心として貞門と論戦。
一一月、宗旦『当流籠抜』刊、伊丹俳書の嚆矢。
このころ、芭蕉、立机。
『一時軒独吟自註三百韻』『うろこがた』『江戸三唫』
『江戸十歌仙』『江戸新道』『江戸通町』『江戸八百韻』
『江戸両吟』『大硯』『大矢数千八百韻』『菊酒付句』
『京三吟』『虎渓の橋』『越路草』『五徳』『五百番自句合』『桜千句』『十八番発句合』『溜池河御坐』『談林俳諧批判』『珍重集』『筑紫琴(楠氏某撰)』『つくしの海』
『桃青三百韻附両吟二百韻』『胴骨三百韻』『難波風』
『ねざめ』『俳諧江戸広小路』『俳諧三ツ物揃』『四人法師』
『俳諧或問』『浜宮千句』『幕づくし』『三鉄輪』『物種集』


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