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Channel: 北杜市ふるさと歴史文学資料館 山口素堂資料室
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歌舞伎役者・市川団十郎と俳諧

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市川団十郎について
山梨県三珠町は歌舞伎の市川団十郎の発祥の地であると云い、立派な歌舞伎会館建っている。『近世奇跡考』によれば、江戸の俳優市川団十郎は堀越重蔵といふ者の子なり。慶安四年辛卯(165
1)、江戸に生まれる重蔵は下総国成田の産(或云、佐倉播谷村の産、役者大 全に云ふ、市川村なり)江戸にうちり住。曾て任侠を好み、番随院長兵衛、唐犬十左衛門と友たり。団十郎生まれて七夜にあたる日、唐犬十左衛門、彼が幼名を海老蔵となづけたるよし。初名を段十郎とよび、後に團十郎に更む。曾て俳諧を好み、舊徳翁才麿の門人となり俳號を才牛といふ。(中略)延宝三年(1675)五月、木挽町山村座、凱歌合曾我といふ狂言に、曾我五郎の役を始めてつとむ。時に二十五才。延宝八年(1680)不破伴左衛門をつとむ。
衣装の模様、雲に稲妻のものずきは、
稲妻のはしまで見たり不破の関
といふ句にもとづきたるよし、『江戸著文集』に見ゆ。
〔俳諧余話〕
……歌舞伎俳優の俳号について
江戸や大阪を中心に歌舞伎俳優の俳諧活動は盛んで、『俳文学大事典』によると、初代市川団十郎は才麿を師と仰ぎ、自ら才牛と号した。その子二代目団十郎は格別に風流に親しみ、其角の門に入り、三升・才牛・栢筵と号し、著書『老のたのしみ』其角、破笠等との交流などが記されていると云う。
素堂はこの初代市川団十郎と並び称された俳号「少長」の中村七三郎〔寛文二年(1662)生、~宝永五年(1708)歿、年四十七才〕は素堂との交流が深く、『梅の時』には素堂の序が掲載されている。
素堂67才 宝永五年(1708)『梅の時』

『梅の時』
 いきて人をよろかばしふるほど死して人をなかしふることはり、今猶昔におなじ。世の名だたる中村七三郎過にし初三日のよるみまかりけるに、辞世とおぼしくて、梅に種を結びて、一句をのこせり。かつしかの同郷に追悼のこころざしあり。予もまた泣きをうつされて、
  たきさしやそ架の中よりこぼれ梅
 といひてさりぬ。かねてより、其人となかをかがなへみるに、風雅の酒落をしたひ、茶人の閑適をうらやみて、その業はひくきにかくるるものならし。もろこしの何とかやいひし人山林にいらず、朝廷をかくれがとせり。我日のもとにも髪をそらす妻を避けず翁和尚とよばれて、市中人なみなみにまじはり、淫逸伝にいれるも有りけるをや。縁に随ひてものずきもまた一様ならず。
  かくれがの芝居の市に花ちりぬ
   衣更着そねの日かつしかの隠居 素堂 序

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