うやまつて申 きくわんの事
南無きキやうちやうらい、八まん大ほさつ、此国のほん志ゆとして、竹たの大郎とかうせしより此かた、代々まほり給ふ、ここにふりよのけき新出きたつて、国かをなやます、よつてかつ頼うんを天とうにまかせ、命をかろんして、てきちんにむかふ、志かりといへとも志そつりをさえるあいた、そのこころまちまちたり、なんそきそよし政そくはくの神りよをむなしくし、あわれ身のふほをすててきへいをおこす、これミつからははをかいする也、なかんつくかつ頼るいたい十おんのともから、けき新と心をひとつにして、たちまちにくつかへさんとする、はんミんのなうらん佛はうのさまたけならすや、そもそもかつよりいかてかあく新なからんや、思ひのほにを天にあかり、志んいなをふかからん、我もここにしてあひともにかなしむ。涙又らんかんたり、志んりょ天めいまことあらは、五きやく十きやくたるたくひ、志よ天かりそめにもかこあらし。此時にいたつて神かんわたくしなく、かつかうきもにめいす、かなしきかな志ん里よまことあらは、うんめい此ときにいたるとも、ねかわくはれいしんちからあわせて、かつ事をかつ頼一しんにつけしめたまい、あたをよもに志りそけん、ひやうらんかへむてめいをひらき、志ゆめう志やうおん志そんはんしやうの事、
ミきの大くわん、ちやうしゆならは、かつ頼我ともに、志やたんミかきたて、くわいろうこん里うの事、うやまつて申
天正十祢ん二月十九日 ミなもとのかつ頼うち
ミきの大くわん、ちやうしゆならは、かつ頼我ともに、志やたんミかきたて、くわいろうこん里うの事、うやまつて申
天正十祢ん二月十九日 ミなもとのかつ頼うち
敬って申しあげます。祈願のこと。
南無帰命頂礼、八幡大菩薩様、この甲斐国の国主として国を治めるようになり、
武田の祖、信義が武田太郎と号して、武田姓を名のってかた今日まで、代々神霊
の加護を受けて参りました。しかるに、この時に至って、思いがけない謀叛の逆
臣が出現して国家を悩ますに至りました。よって夫勝頼は運を天命にまかせて、
命をなげうって敵陣に向かいます。けれども部下の中に道理をわきまえない者が
あって、兵卒の心もまちまちであります。彼の木曾義昌な何としたことか神の掟
に背き、義父母たる機山公(信玄)大井夫人にまでも叛いて不意討の兵を挙げる
ことか。これは自らの母を殺害することにもなる大罪ではないか。
とりわけ武田家の恩顧を受けてきた家臣までが、逆臣と心を合わせて武田家を
転覆しようと企むにいたりました。まことに万民を苦悩に陥れる仕業であり、仏
業修業、来世のさまたげではないか。そもそもなんで勝頼に悪心がありましょう
か。勝頼の心中、無念の焔は天にもあがるほどであり、いかりの心はまます深ま
りゆきます。私もここに勝頼とともに悲しみ無念の涙は、溢れてはらはらとおち
てまいります。
なにとぞ、神の思し召しや天命に、もし誠があるならば、五逆十悪を犯した者
どもには、諸神諸仏も加護はないはずです。ことここに至っては神の思し召しに
私利私情なく公平無私なることを深く思い、心より神恩仏恩を仰ぎ奉ります。武
田家の運命がこの最悪の事態に至っても、願わくば守護神様、力を合わせて、勝
頼の生命にも代えて敵に勝たしめたまい織田、徳川侵入軍を国外に撃退せしめん
事を。兵乱を静め、運命を開き、寿命はますます長く、子孫繁栄を真心こめて祈
願し奉ります。右の大願が成し遂げられたあかつきには、夫の勝頼とともに階壇
や玉垣を建て、廻廊をも建立奉納致します。ここにかしこみ敬って申す。
天正十二年二月十九日 源朝臣 武田勝頼の妻