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山口素堂 貞享3年 丙寅 1686 45才

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貞享3年 丙寅 1686 45才
 



貞享3年 丙寅 1686 45才


世相


幕府 閏三月、利根川西を武蔵とし、東を下総と定め給ひ、葛飾郡二カ国に分る。


(両国橋より東深川本所の地は、葛飾郡西葛西領にして、上代武蔵国になりしが、今年昔のごとく武蔵国に属せしめ給へり)


九月に旗本奴の集団の大小の神祇組の二百余人を追補し、その首領十一人を斬罪に処した。四月、日数改正。


忌日


養父母    -忌二十日・服百五十日から忌三十日・服百五十日


夫の父母 -忌二十日 服    九十日から忌三十日・服百五十日


俳壇


……この頃から江戸に、前句附、冠附が流行る。


貞享のころより正徳のころまでは、町々に前句づけ冠附とて、点者より題をいだしてつけさせ、よろしきには褒美つかはし、高下をしてしだいに甲乙ありていたすなり。


前句の仕方


およそ句数一千何百と記す、料金、十六銅。


△ならぬことかなく


こちとらはおよばぬこいのほそづくり


△にほひこそすれく


ならふなら井戸のを打てもらひたい


△ならぬことかなく


国などで毎日入ると申のは


△やすいことかなく


一文でおもひのまゝにからがらせ


冠附


△となりから


酔ふ紅梅のかきねかな


△赤くなる


たとん官して緋の衣


△はやいこと


御弓町より矢のつかひてんはかやうのしなをかむりにつけたり(『久夢日記』)


いずれも雑俳で、蕉風の俳諧の自然詩と違って、庶民的な生活詩であり、多少の風刺もあり川柳につながるともいえる。ただ、ここでは賞金がかけられている。(遠藤元男氏著『近世生活史年表』)


 


素堂……閏三月、『蛙合』仙化編。発句一入集。衆議判に加わる。


雨の蛙聲高になるも哀哉          素堂


古池や蛙飛びこむ水のおと        芭蕉


『庵櫻』


古池や蛙飛ンだる水の音        桃青


《註》… この古池やの句の最初の五は、「山吹や」であったと言う説もある。


魯庵の『桃青傳』によると、この句成立に関しての話として、「甲斐國巨摩郡鳥澤・犬目両村の間に、三家塚といふ坂があって、その坂の上の桑畑の側に小池がある。口碑によると、こゝで芭蕉が古池やの句を詠んだのである」といふが之も信じがたい。(『芭蕉の全貌』萩原蘿月氏著より)


第一番


左 古池や蛙飛びこむ水の音          芭蕉


右 いたいけに蝦つくはふ浮葉哉      仙化


此ふらかはづを何となく設たるに、四となり六と成て一巻にみちぬ。かみにたち下におくの品、おのくあらすふ事なかるべし。


第二番


左 雨の蛙聲高になるも哀哉        素堂


右 泥亀と門をならぶる蛙哉          文隣


小田の蛙の夕ぐれの聲とよみけるに、雨のかはづも聲高也。右淤泥の中に身をよごして、不才の才を楽しみ侍る亀の隣のかはづならん。


門を並ぶると云たる、尤手きゝのしはざなれども、左の聲高には驚れ侍る。


入集句


よしなしやさでの芥とゆく蛙      嵐雪


山井や墨のたもとに汲蛙          杉風


畦はしばし鳴やむ蛙哉            去来


 


来雪号 《註》 『庵櫻』三月刊。西吟編。


この集に「来雪」号があるが、池田 来雪とあるので素堂とは別人と思われる。参考にここにあげる。


酒のみやよし足曵の山櫻        池田 西舟


夕陽おしからん櫻木の間の落月菴   同  来雪


《註》延宝五年の西鶴『大矢数』中にも「来雪」号が見えるが、この池田の来雪の可能性もある。


《註》十月五日、野波、許六宛書簡。〔『許(許六)野(野坡)消息』嘯山編。天明五年(1785)刊〕


翁の古池の句貴丈ならでは聞得るもの天下になかるべきよし。然るに今天下に名句といふ事は、俳諧せぬ者も申候。


素堂も四句の名句の内に撰出し候事、集御覧にて御存あるべく候。云々。(『芭蕉の全貌』萩原蘿月氏著より)


《註》… 本間家の記録。


(前略)鹿島詣の草稿、山口素堂十三夜の文を芭蕉が清書したもの、其他一品都合三點を吐花侯へ進上した。


なほ本間家には伊賀餞別一巻・深川ノ夜・芭蕉及び越人の附句一巻・阿弥陀坊前文発句一福・素堂亭集残り発句一幅、云々。


本間自順は常陸國茨城郡 小川村 の医者にして道悦と云。(去留、全集)(『芭蕉の全貌』萩原蘿月氏著より)


素堂……秋、芭蕉に「四山瓢名」を与える。


    


瓢重泰山 自笑稱箕山


慣首陽山 這中飯顆山


一書… 〔莫慣首陽餓〕


素堂自筆懐紙……『蕉影余韻』所収。


瓢銘 芭蕉庵家蔵(右の四山瓢名)貞享三年仲秋後二日  素堂山子書


(貞享三年八月二十二日)


芭蕉……「瓢の銘」読み下し


一瓢は泰山より重く 自ら笑って箕山と称す


首陽は餓に慣ふことなかれ 這の中に飯顆山あり


顔公の垣穂に生へるかたみにもあらず、恵子が伝ふ種にしもあらで、我に一つの瓢あり。これをたくみにつけて、花入るる器にせむとすれば、大にしてのりにあたらず。小竹筒に作りて、酒を盛らむとすれば、かたち見る所なし。ある人のいはく、「草庵のいみじき糧入るべきものなり」と、まことに蓬の心あるかな。


やがて用ゐて隠士素翁に乞うて、これが名を得さしむ。その言葉は右に記す。その句みな山をもつて送らるゝがゆゑに、四山と呼ぶ。中にも飯顆山は老杜の住める地にして、李白がたはぶれの句あり。素翁李白に代りて、わが貧を清くせむとす。且つ、むなしき時は、ちりの器となれ。得る時は一壺も千金をいだきて、黛山もかろしとせむことしかり。


もの一つ瓢はかろきわが世かな 芭蕉庵桃青


 


口語訳… 『芭蕉俳諧の精神』赤羽学氏著


顔回の垣根に生えた夕顔の子孫でもなく、恵子が伝えた種でもなくて、自分の家に一つの瓢がある。是を細工師に依頼して、花入れにしようとすれば、大きすぎて規格にわない。竹筒に作って酒を盛ろうとすれば、恰好が悪い。ある人の言うには、草庵の大切な食料を入れる器にするのがよい。なるほど自分はこせこせした狭い心の持ち主であったことだ。早速米入れに使うことにして隠士素翁に願って、この名前をつけてもらうことにした。その言葉は右に記した。


その詩句に皆山の字を付けて贈られたので、四山と呼ぶ。中でも飯顆山は老荘が住んでいた地で、李白が杜甫に戯れた詩がある。素翁は李白に代わって、自分の貧を清貧としてくれた。その上、空である時は、塵のたまる器となれ。米を得た時は、一壺千金を抱いて、その重きことは、黛山も軽いと感ずる。それはもっともなことだ。


〔俳諧余話〕

異同……七柏集』蓼太編。天明元年(1781)刊。

顔公のちまたにおへるかたみにあらず、恵子のつたふたねにもしもあらず、我垣根にふたば生いでゝより、軒端はいまとはりて、終に花さき実を結ぶ。大きさ五升ばかり。云々

《註》…この瓢は後に二代目市川団十郎(俳名、柏筵)の手に入り、歴代の市川家に伝えられたが、関東大震災の折焼失した。

《註》…市川団十郎について

山梨県三珠町は歌舞伎の市川団十郎の発祥の地であると云い、立派な歌舞伎会館建っている。『近世奇跡考』によれば、江戸の俳優市川団十郎は堀越重蔵といふ者の子なり。慶安四年辛卯(1651)、江戸に生まれる重蔵は下総国成田の産(或云、佐倉播谷村の産、役者大 全に云ふ、市川村なり)江戸にうちり住。曾て任侠を好み、番随院長兵衛、唐犬十左衛門と友たり。団十郎生まれて七夜にあたる日、唐犬十左衛門、彼が幼名を海老蔵となづけたるよし。初名を段十郎とよび、後に團十郎に更む。曾て俳諧を好み、舊徳翁才麿の門人となり俳號を才牛といふ。(中略)延宝三年(1675)五月、木挽町山村座、凱歌合曾我といふ狂言に、曾我五郎の役を始めてつとむ。時に二十五才。延宝八年(1680)不破伴左衛門をつとむ。


衣装の模様、雲に稲妻のものずきは、

稲妻のはしまで見たり不破の関

といふ句にもとづきたるよし、『江戸著文集』に見ゆ。

〔俳諧余話〕

……歌舞伎俳優の俳号について

江戸や大阪を中心に歌舞伎俳優の俳諧活動は盛んで、『俳文学大事典』によると、初代市川団十郎は才麿を師と仰ぎ、自ら才牛と号した。その子二代目団十郎は格別に風流に親しみ、其角の門に入り、三升・才牛・栢筵と号し、著書『老のたのしみ』其角、破笠等との交流などが記されていると云う。

素堂はこの初代市川団十郎と並び称された俳号「少長」の中村七三郎〔寛文二年(1662)生、~宝永五年(1708)歿、年四十七才〕との交流が深く、『梅の時』には素堂の序が掲載されている。

〔素堂余話〕

『日本随筆大系』巻の四、「寸錦雑綴」作者不詳。には素堂筆の「四山の銘」のある米櫃は、芭蕉庵米櫃、柏筵所持 五粒に伝え今は三桝に 蓋木黒ヌリ。伝懇望〆一見写之とあり、銘が掲載されている。素堂の号は「葛飾隠士素堂」とある。

『日本随筆大系』巻の十四、山口素堂「立軸臺表具」『一話一言』大田南畝著。芭蕉庵家蔵として「四山の瓢」がある。

興味があるのは、号で、素堂山子、花押、我思古人とある。

《註》

四山の瓢-『鵲尾冠』越智越人編、巻頭。享保二年(1717)刊。


歳旦


此発句は芭蕉、江府船町の囂に倦、深川泊船堂に入ラれし、つぐる年の作なり。茶碗十ツ、菜刀一枚、米入るゝ瓢一ツ、五升の外不レ入、名を四山と申候。


似合しや新年古き米五升   芭蕉


内田魯庵氏著『芭蕉後伝』所収


是眞が写生したものに、瓢の高さ二尺三四寸、直径五寸程の細長いもの、素堂の銘は朱塗で書かれてある。四山の名が上にあって下に素堂の銘が二行になって居る。


《註》



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