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武川町指定山高氏代々とその墓
武川町指定山高氏代々とその墓 鳳凰山高龍寺(史跡と文化財『武川村誌』一部加筆) 昭和五十三年十一月一日指定 高龍寺は山高氏の菩提寺で、境内には山高氏代々の墓がある。山高氏は祖先甲斐守信方が、山高村に封じられ初めて山高氏を称した。信方は一条義行の長男である。一条氏は宗家武田氏の第二代信光の第四子一条信長よりはじまる。信長の子一条信経、信経の子時信、時信の子が義行、義行の子が山高信方である。...
View Article北巨摩地方を襲った天保一揆 その時白州町内では
北巨摩地方を襲った天保一揆道中筋と天保騒動(『甲州夏草道中記 下巻』山梨日日新聞社) 竹川義徳道中講師は道中筋と関係深い天保騒動について次のように説明した。...
View Article❖ 元宝荘子序 『翁草』 徳川綱吉 柳沢吉保
❖ 元宝荘子序世に日光邯鄲((河北省、趙の旧都))の枕と況して草楮(こうぞ)僅十二三葉に、常憲院殿綱吉公の御事を語る物有り、又寛延(元年1748~三年1750)のころ浪華隠士岡毛計となん云者此を冊補して七巻とす、今粤(ここ)に載る処は、毛計が臆見を較正(校正)し、且俚詞迂遠を除き、其大旨を述るのみ、奥秘に於いては、孰(いずれ)か是をしらんや、恐れみ慎みて、毫(コウ...
View Article○ 日光山霊告 『翁草』
○ 日光山霊告八木主税之介信之(初名六之丞)は、元猿楽喜多座の役者なり、その質麗き故に、若年の頃召し出され、御小姓に列し、段々御取立有て、後には秩八千石を賜ふ【割註】私曰く宝永四年(1707)の武鑑に御小姓八木主税介千五百石とあり、その後御加増有しや可追考」而るに聊か柳諷諌(フウカン 遠回しにいさめることを奉りて容れられず、竟(キョウ...
View Article〇 上野御成催沙汰 徳川綱吉 翁草
〇 上野御成催沙汰 綱吉公の御臺所は、鷹司房輔公の姫君にて、館林御在城の砌、御入輿あり、この御腹に徳松君姫君御一方御出生有り、徳松君は早世し給い、姫君は鶴姫と奉号、紀伊中納言綱教卿の御簾中と成らせ給う。...
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