○ 日光山霊告
八木主税之介信之(初名六之丞)は、元猿楽喜多座の役者なり、その質麗き故に、若年の頃召し出され、御小姓に列し、段々御取立有て、後には秩八千石を賜ふ【割註】私曰く宝永四年(1707)の武鑑に御小姓八木主税介千五百石とあり、その後御加増有しや可追考」而るに聊か柳諷諌(フウカン 遠回しにいさめることを奉りて容れられず、竟(キョウ つい)に御勘気を蒙りて、上州高崎に蟄すと雖も、猶も恩義を慕い奉り、野州日光山に詣して、公運長栄を祈り、通夜しけるに、あらたに、霊告が有りて、まのあたり元禄宝永の世のさまを、夢裡(ムリ 夢中)に感するぞ不思議なる、
私(著者)曰く、此れ最も本文を贅する為の寓言也、素より夢談なれば、本文の真意を強て正すに由なし。