延宝 四年(1676)☆素堂35才 芭蕉、33才
延宝 四年(1676)☆素堂35才 芭蕉、33才春 天満宮奉納二百韻、(信章、桃青両吟集 六年刊) 梅の風の巻 梅の風俳諧国に盛なり 信章 こちとうずれも此時の春 桃青(芭蕉) 世の中よ大名あれば町人あり 信章柳は緑かけは取りがち 桃青 此梅の巻 此梅に牛も初音とつべし 桃青 ましてや蛙人間の作 信章芭蕉発句...
View Article山口素堂 『芭蕉書簡』曽良宛。53才 元禄七年(1694)
山口素堂 『芭蕉書簡』曽良宛。53才 元禄七年(1694) (略)尚々宗波老へ預置申侯素堂書物早々かへされ候様に待ち奉り候に頼申よし御申候。浄久へも御伝被成候。
View Article山口素堂 『慶分船 詩文』不角編。53才 元禄七年(1694)
山口素堂 『慶分船 詩文』不角編。53才 元禄七年(1694) 五月あめ晴過る比慶分船をさしよせて、江の扉をたたく人有。この船や難波の春を始めて玉江のあしの夏狩りものせて是をおもしとせず。尚しほれ戸のからびたるも一ふしあるはそれすてみや。しばしかたらひ手をわかつとき 鳩の巣や帰る目路成芦のひま 素堂 春もはや山吹しろし萱苦し 素堂
View Article山口素堂 芭蕉の瓢(米入)に四山の銘を
四山瓢名(五言絶句)。貞享3年(1686)素堂、45才。 一瓢垂岱山。自笑称箕山。勿慣首陽山。這中飯顆山。一瓢は岱山より重く、白から笑ふて箕山と称し、首陽山に慣れること勿かれ、...
View Article素堂周辺北村季吟と湖春(季吟の子)&林道春 『雨憲閑話』
北村季吟と湖春(季吟の子)&林道春 『雨憲閑話』 天和貞享の頃、江州の北村季吟法印花の本の宗匠になりて、連歌の会を催す まさまさと在すが如し魂祭...
View Article**素堂の漢詩文について**
**素堂漢詩文** (略)藤原惺窩は冷泉家為純の子で、若くして僧となった人で京都嗚相国寺の学僧、程朱の学を学び、桂庵玄樹の「朱註和訓」を学んで独自性を知り還俗し、朱子学を仏教より離して独立させた京学の祖である。朱子学の墓礎を確立し、儒学を貴族・僧侶の社会より解放したのである。後に徳川家康の招致で講援はしたが門人の林羅山を推し、仕える事はしなかった。惺窩も五山派の学僧であったのである。...
View Article素堂と芭蕉の出会い
**素堂と芭蕉** 松尾芭蕉は古体の俳諧を革新し、芸術文芸にまで引き上げたとして、後世「俳聖」として崇められた。連歌より派生した俳諧が、松永貞徳により体系化され、北村季吟・西山宗因が堅苦しいマンネリ化した遊戯的俳諧を、独自の「さび.・わび・しおり・ほそみ・かろみ」などを極致とする俳風を開き、芸術的俳諧に高めた事による。...
View Article山口素堂 芭蕉七回忌追善 『冬かつら』杉風編。
山口素堂 『冬かつら』杉風編。芭蕉七回忌追善集 素堂七唱 素堂59才 元禄十三年(1670) ことしかみな月中二日、芭蕉翁の七回忌とて、翁の住捨ける庵にむつまじきかぎりしたひて入て、堂あれども人は昔にあらじといへるふるごとの、先思ひ出られた涙下りぬ。空蝉のもぬけしあとの宿ながらも、猶人がらなつかしくて、人々句をつらね、筆を染て、志をあらはされけり。予も又、ふるき世の友とて、七唱をそなへさりぬ。其一...
View Articleさびしきまゝに 芭蕉 素堂、此こと葉を常にあはれむ。
さびしきまゝに 芭蕉長嘯隠士の曰、客は年日の閑を得れば主は年日の閑をうしなふと。素堂此こと葉を常にあはれむ。 朝の間雨降。今日は人もなしさびしきまゝに、むだ書して遊ぶ。其詞 喪に居るものは悲しみをあるじとし 酒を飲ものはたのしみを主とし 愁に住すものは愁をあるじとし 徒然に任するものはつれづれを主とす さびしさなくばうからまし と、西上人のよみ侍るは、さびしさを主なるべし。叉よめる、...
View Article山口素堂 『そこの花』浪花編。句文 素堂60才 元禄十四年(1701)
山口素堂 『そこの花』浪花編。句文 素堂60才 元禄十四年(1701) 『そこの花』浪花編。 粟津がはらにて奮友はせをが墓をたずねしに、 志賀の花湖の水それながら 江戸素堂 むかひに志賀の山、前に湖水あり、それはたぶさにかけるたていとかかり、三世の仏に花奉る。また一休の詠に 山城の瓜や茄子もそのままにたむけになすぞ鴨川の水も 此二首にすがりていふ。
View Article素堂と芭蕉
**素堂と芭蕉** 松尾芭蕉は古体の俳諧を革新し、芸術文芸にまで引き上げたとして、後世「俳聖」として崇められた。連歌より派生した俳諧が、松永貞徳により体系化され、北村季吟・西山宗因が堅苦しいマンネリ化した遊戯的俳諧を、独自の「さび.・わび・しおり・ほそみ・かろみ」などを極致とする俳風を開き、芸術的俳諧に高めた事による。...
View Article曾良より芭蕉への書状 素堂、菊の句・素堂十三唱の事など
曾良より芭蕉への書状素堂、菊の句・素堂十三唱の事など この書状元禄三年(1690)九月二十六日、曾良から芭蕉へ宛てたものである。奥羽三越路の大旅行を終へた翌年である。乃ち深川の曾良の草庵から大津、乙州の宅に静養していた旋先の芭蕉へ送ったものと見える。...
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