禅昌寺と恵林寺(『飛騨屋久兵衛』 追記 三、禅昌寺と恵林寺)
禅昌寺と恵林寺(『飛騨屋久兵衛』 追記 三、禅昌寺と恵林寺) 下呂温泉寺住職、桐原東叔が、本文、第六章、武川家菩提寺について、の中で記載されている、勅願字龍澤山禅昌寺と、山梨県塩山、笛吹川のほとりにある名刹、乾徳山恵林寺との関連について、恵林寺資料第三巻によって付記したい。(略) ① 快川国師(甲斐恵林寺住職)◇ 快川国師...
View Article早春の甲斐・信濃井上靖氏著
早春の甲斐・信濃井上靖氏著 東京に初めて早春らしい陽の射した日、『周と雲と砦』の舞台である甲斐信濃地方に出掛けた。 甲府に下車し、現在は武田神社の社域になっている武田信玄の居館の跡をみる。ここはいまは 甲府市 に編入され、古 府中町...
View Article武田信玄、父信虎を追放する
歴史に興味を持つとさまざまな書や文献それに刊行物を読むことになる。しかし一冊では歴史は偏るし、たくさん読むと混迷する。 この信玄が父信虎を追放した事件もそれぞれの書がそれぞれの見解を示し、また引用書にも限界があり、一向に解明できない。...
View Article志村滝蔵氏 韮崎市 坂井遺跡の発掘者
志村滝蔵氏 韮崎市 坂井遺跡の発掘者鳥居博士を迎える その頃の日記から『中央線』爽涼号 1968 一部加筆 昭和七年三月四日、北巨摩郡教育会郷土部に於いて、先史遺物遺跡について発表会を催すにあたり、斯学の権威鳥居先生の御来峡を乞い、遺跡地を実地踏査の上御教導を御願いする事になった。...
View Article三枝雲岱翁傳(六)明治十五年 72才 内国博覧会出典
三枝雲岱翁傳(六)斎藤操氏著『地歴の甲斐』第2号第6巻 一部加筆 明治十五辛巳年(七十二歳)東京上野公園内に開かれたる内国絵画共進会に出品褒状を受ける。 雪岱先生之碑に、 先生是より先年七十一、其の作る所を絵画共進曾に出し褒状を得る。と見える。翁年七十一といふは、明治十四年に当る。しかし絵画共進曾の開かれたのは明治十五年を以って最初とするのであるから、碑文の云うところは如何と思われる。...
View Article三枝雲岱翁傳(六)明治二十二年、小野泉死す
三枝雲岱翁傳(六)斎藤操氏著『地歴の甲斐』第2号第6巻 一部加筆 明治十九丙成年(七十六歳) 若尾逸平の言に従い宗啓一家(雲岱長男)甲府桜町-町目に移住し製糸場を経営する。 明冶二十二己丑年(七十九歳) 兄小野通仙残す年八十五小野泉『評伝永峯秀樹』永峯秀樹家門勤学保坂忠信氏著
View Article小沢征爾の父開作氏(山梨県市川大門町出身)のこと
小沢征爾の父開作氏(山梨県市川大門町出身)のこと比口嘉夫氏著『文学と歴史』「表札」昭和59年刊 一部加筆 小沢開作といっても知らない人が多いだろう。先年亡くなった市川大門町出身の歯科医だが、本業よりむしろ旧満州国協和会の幹部のひとりとして知られていた。またオーケストラの指揮者である征爾君はその息子である。私がこの小沢開作さんと初めて口を聞いたのは、昭和十三年秋の中国北京でであった。...
View Article北杜市白州町の地名 大字と小字
白州町の地名 大字と小字 《大武川》 ○現在の大字別小字宅 ◇大武川(旧鳳来村)おおむかわ 矢崎.まま下・クイデ・上畑・田頭・前田・大南・転石・山ギワ・みどうや・諸水・棚下・沼沢・大岩・前山・蛇川・釜無山 ◆寛文十二年検地帳...
View Articleおいしい水とまずい水(『水を訪れる』山口嘉之氏著より)
おいしい水とまずい水(『水を訪れる』山口嘉之氏著より)雨が地上を流れて集まり河川となるように、高い山に降った雨や雪が地下に浸み込んだ水が流れるのが地下水である。地下水は斜面に沿って流れる浅い流れ、すなわち浅層地下水と、地下深くまで浸み込んで流れる深層地下水がある。深層地下水の中には、サハラ砂漠やゴビ砂漠の地下水のように、地下の一定の場所に蓄えられているものもある。...
View Article白州町花水 清泰寺(せいたいじ)曲淵勝左衛門(まがりぶちしょうざえもん)
白州町花水 清泰寺(せいたいじ)曲淵勝左衛門(まがりぶちしょうざえもん) 清泰寺を開いたのは、甲斐源氏の祖新羅三郎義光が大治元年に開いたと「社寺記」に記してある。 さらに同記によると開山は、当時の山梨郡積翠寺村輿因寺三世雲鷹玄俊和尚文明六年四月先宗天台退転に付き禅曹洞宗に改めた。...
View Article宝永大噴火奇聞(泉昌彦氏著「伝説と怪談」より)
宝永大噴火奇聞(泉昌彦氏著「伝説と怪談」より) <すさまじい噴火のありさま> 宝永の噴火は文献が多いので信じられることだ。十一月二十一日、相変らずバカ陽気でたるんでいた、山麓の人々の間で、気のつく人は、すでに遠雷のようたとどろきを地の底からときどき感じた。樹海のあちこちからは、蒸気が上がりはじめていた。気づかないような徴震は、すでにたえまなくおこり、軽震がこれに加わった。...
View Article富士山と周辺火山の噴火・災害記録(参照、「日本の火山災害」村山磐氏著1977著ほか)
富士山と周辺火山の噴火・災害記録(参照、「日本の火山災害」村山磐氏著1977著ほか) ○718年頃(養老二年頃) 噴火 ○781年(天応元年)8月 噴火一降灰 ○800~801年(延暦十九~二十年)、山頂において噴火 ○800年(延暦十九年)四月十五日噴火、このとき猿橋溶岩流流出か...
View Article三枝雲岱翁傳 八十三歳 書画会(須玉)
三枝雲岱翁傳 八十三歳 書画会(須玉)斎藤操氏著『地歴の甲斐』第2号第6巻 一部加筆 明治二十六葵巳年(1893)八十三歳 四月若神子書画会に出席、揮毫(きごう 筆をふるう) 此の年四月一日、若神子書画会が開かれ翁は、同会の世話人と思われる仲円氏・久保田氏の慫慂(しゅうよう...
View Article三枝雲岱翁傳 八十五歳
三枝雲岱翁傳 八十五歳 斎藤操氏著『地歴の甲斐』第2号第6巻 一部加筆 明治二十八乙未年(八十五歳) 五月、宗啓(雲岱孫)等一家神奈川藤沢に移転、大いに製絲業に従う。...
View Article三枝雲岱翁傳 八十八歳 米寿の祝い
三枝雲岱翁傳 八十八歳 斎藤操氏著『地歴の甲斐』第2号第6巻 一部加筆 明治三十-戊成年(八十八歳) 米寿の祝いあり。 雲岱翁米寿の祀賀の宴は、はじめの蔵原(高根町)の孤月山浄光寺内鎧堂に設けられ、第二次祝賀宴は、甲府の旗亭開峡楼にて開かれた。 初めの宴は、宗啓手記に従えば...
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