↧
明治までの釜無川、御勅使川流域の大水害の記録(周辺被害)
明治までの釜無川、御勅使川流域の大水害の記録(周辺被害) 天正十一年 (一五八三) 十一月 釜無川・笛吹川氾濫 文禄二年 (一五九三) 中巨摩郡下大洪水 慶長十四年 (一六〇九) 九月 中巨摩郡下大洪水 慶長十九年 (一六一四) 十月 中巨摩郡下大洪水 寛永十九年 (一六四二) 中巨摩郡下大洪水 元亀一年 (一五七〇)...
View Articleキリシタン大名 有馬晴信と初鹿野
キリシタン大名 有馬晴信と初鹿野『甲州人々 こうしゅうじんじん』昭和52年 山梨タイムズ6月号所収記事歴史随想 渡辺隆三氏著 一部加筆...
View Article北杜市の先人 武川町 武藤亜山と短歌
北杜市の先人 武川町 武藤亜山と短歌『武川村誌』一部加筆 武藤亜山は通称忠信といい明治二十三年(1895)三月十五日、本村下三吹二四一七番地に武藤代作の長男として生まれた。亜山は主として俳句を選科としたが、短歌もまたなかなかの達人であった。 昭和の初期広島県三原市に住したころ「詩のとも」という雑誌の創刊号に祝吟を詠じた。 星一つ空に残りてさやかなる 朝晩うれし秋のあけぼの...
View Article武川町山高神代桜を詠む 『大櫻集』塚原幾州秋編 中山正俊
駒城帰省の途上 駒峰 中山正俊 草間、近事、定めて何如、十里、侯安、寓居を出づ、 凰は紅楓を散らして、短帽を侵し、霜余の衰草、征袪(キョ そで)を払う。 又眸を遮るの林影、心襟潤し、耳に慣るるの渓声、意気舒(しず)かなり。 落日、蜂頭、高さ幾尺ぞ、山村、馬に鞭うって門閭に入る。【註】中山正俊は、甲府愛宕町から実家(横手中山家)に帰る途中、各家塾で講師をしていた。
View Article