三枝雲岱翁傳 八十五歳
斎藤操氏著『地歴の甲斐』第2号第6巻 一部加筆
明治二十八乙未年(八十五歳)
五月、宗啓(雲岱孫)等一家神奈川藤沢に移転、大いに製絲業に従う。
曩(先)に甲府に出て、製絲を事としていた宗啓は、大規模な工場の必雫に迫られ、神奈川県藤沢に転住することとなった。
雲岱翁の日記に、此の年一月雅一日「宗啓横浜へ発足」と記しているのは、この藤沢移転の下準備であり、
四月八日、宗啓は「梅女」・「驥逸(きいつ)」の二女子を伴って、蔵原(現、北杜市高根町)の翁の許に来て、また五月一日宗哲の妻「あさ女」は、「てふ女」・「松三」の二子を同道して、また翁の許に来て、近隣及び日野の田中氏・黒澤の深澤氏等の親戚・実家細田氏を訪れたのは、何れも、藤繹移住の挨拶と思われる。
かくして、五月末日、藤沢に移ったが、この結果、蔵原の家には、翁と妻「ゆう女」のみになることになるので.宗啓の女「てふ」は、蔵原に留まって、この老夫婦の世話に当ることゝなった。