甲斐史 御牧・国司等 後朱雀天皇 在位(1036~1045)
甲斐史 御牧・国司等 後朱雀天皇 在位(1036~1045) 長暦1年 1037 11月18日 ◎甲斐守 藤原永職の母が、寄宿先火事にあい焼死。行親記長暦2年 1038 1月22日 秩父御馬 駒牽、武蔵国秩父牧御馬。前年分。樗嚢抄長暦2年 1038 8月17日 信濃御馬 駒牽、信濃国勅旨諸牧御馬。樗嚢抄長暦2年 1038 12月1日 駒牽...
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甲斐史 国司・御牧 甲斐源氏(1400~1477) 応永7年 1400 8月16日 駒牽(略)兼敷抄応永8年 1401 8月16日 駒牽延引(略)続史愚抄 迎陽記 8月 贈馬(明国)足利義満、金千両、馬十匹、其の他各種の方物を贈り、始めて書を明王に送った。善隣国実記応永10年 1403 2月...
View Article武川衆、青木氏(青木村)『甲斐国志』
武川衆、青木氏(青木村)『甲斐国志』青木経光--義虎--信定系譜曰、源八時信の男、十郎時光以青木為氏号時光、青木をもって氏号とする。その男十郎太郎経光より十世弥十郎義虎(一系に経光男尾張信連、尾張貞義、十郎義遠、尾張安達男義虎、六世とする)義虎の男尾張守信定、天文十丑年(一五四一)十月廿日逝去する。〔常光院殿毘耶浄賢居士〕、妻は、〔芳林妙香大姉〕、行年六十一天文十年十二月武田八幡宮(韮崎)棟札に青木...
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古代甲斐国府 参考資料、『春日居町誌』(国府跡) 国府(コウ)は律令政治が行なわれていた奈良時代ごろ、国々に設けられた地方政治都市で、その中心をなす国庁には国司が居て政治を執ることになっていた。国庁の所在地としては「国府」の他に「国衙」あり、更に時代が下がると「府中」がある。...
View Article山梨県歴史の間違い 御牧の比定地の再考を
甲斐の御牧が僻地では成り立たない。国衙との関係や、一緒に牽馬する真衣野牧(武川町牧原)と柏前牧(高根町樫山)は地理的にも環境的にも無理がある。甲斐の古代牧を探る上で必要な環境、養う人々や建物や飼料など全く解明されていない。特に真衣野牧に比定される牧原など数多い流路の定まらない河川敷であり、無理がある。有効な遺跡や遺構が発見されない中、完全に地名比定のみで定説化した歴史家の責任は重い。今こそ見直す時期...
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