生忠岑(ただみね)きみがためいのちかへぞわれはゆくつるてこほりとよをうるなり
○昌泰1年閏10月(898)…壬生忠岑(ただみね)【『忠岑集』】… 生忠岑が陽成上皇の使者として甲斐国下向。 …かひにくににまかる、まかりまうしに……きみがためいのちかへぞわれはゆくつるてこほりとよをうるなり【『貫之集』】…忠岑がもとに ……かひがねの松にとしふるきみゆえにわれはなけきとなりぬへらなり……
View Article紀貫之 甲斐がねの山里みればあしたづの命をもたる人ぞすみける……
延長2年(924)【『貫之集』】…紀貫之……延長二年ひだりのおとどの北のかたの御屏風のうた十二首……甲斐がねの山里みればあしたづの命をもたる人ぞすみける……
View Article◆甲斐守…源師綱(もろつな)任国甲斐から京都へ和歌を送る。
◆甲斐守…源師綱(もろつな)任国甲斐から京都へ和歌を送る。…甲斐守にて国を侍りけるころ、朝光大将のもとに侍りける人のもとへいひつかはしける…源師綱朝臣……さすらふる身をいづくにと人とはば はるけき山のかひにとをいへ……
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飯田蛇笏(だこつ)の句碑『甲斐の文学碑』<著者奥山正則氏>一部加筆 甲府舞鶴城址にある芋の露連山影を正しうす 蛇笏 この句碑は昭和三十八年十月六日、甲府の舞鶴城址に建てられ、同日除幕式が行われた。銘記に「蛇笏...
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露木寛の文学碑『甲斐の文学碑』<著者奥山正則氏>一部加筆甲府の荒川・三ツ水門にある 太田町から朝気方面へ流れ行く筋は、しばらく南下して三吉町へと東流するが、里吉、山 城方面に向うものは伊勢町に向って更に南流して行く。三ツ水門の 水は昔から、用水として、おのおのその地域流域の人々と土地とを潤して来たのである。露木寛...
View Article河西南村(輝雄)氏 武川渓谷に遊ぶ 実相寺の桜 萬休院の松(現無)を詠む
河西南村(輝雄)氏 武川渓谷に遊ぶ 実相寺の桜 萬休院の松(現無)を詠む『山梨の文学』山梨日日新社刊より抜粋 一部加筆 四十代の働き盛りを甲府に過ごした香南が参謀本部に勤務している明治末、笠井南村...
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北杜市の偉人 堀内柳南(ほりうち・りゆうなん)北杜市長坂町 『山梨の文学』山梨日日新聞社刊 一部加筆 一八七三(明治六年)生まれ、一九三二(昭和七年)歿 新時代の息吹、文芸誌に結集ここに白雛会を起して新派の先鞭をつけんとす。...
View Article北杜市の偉人 藤巻宣城(ふじまきよしき)北杜市須玉町
北杜市の偉人 藤巻宣城(ふじまきよしき)北杜市須玉町『山梨の文学』山梨日日新聞社刊 一部加筆 大正年代から活躍した峡北の作家藤巻宜城(ふじまき・よしき)一九〇四(明治37年)生まれ~一九六八(昭和41年)歿 あさな朝ここの丘べの桐の木の 花を見つつも湧けるかなしみ...
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韮崎市穴山の偉人 伊藤生更(いとう・せいこう)『山梨の文学』山梨日日新聞社刊一八八四(明治17年)生まれ。一九七二(昭和47年)歿。-「物事の真相」 日常の中に歌うさぼてんの鉢を日なたに移しやる心ゆとりもはかなかるもの(1936)うなづきて寝ねたる妻の安やすと眠るを見れば我もねむれり(1936)蕎麦を待つ部屋の某庭かげり来てまた陽が当る山百合の花...
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