飯田蛇笏(だこつ)の句碑
『甲斐の文学碑』<著者奥山正則氏>一部加筆
甲府舞鶴城址にある
芋の露連山影を正しうす 蛇笏
この句碑は昭和三十八年十月六日、甲府の舞鶴城址に建てられ、同日除幕式が行われた。銘記に
「蛇笏 飯田武治先生は明治十八年四月二十六日山梨県境川村に生れた。生涯家郷の山盧にあって句業に専念し、雲母を主宰して格調高い詩韻を全国に普遍した。晩年に至るまで毅然たる風姿を以って作家活動を継続、句集山盧等をはじめ幾多の傑作と著書を残して、昭和三十七年十月三日に永眠した。この碑は先生の一周忌に際し蛇笏文学を讃仰する多くの門下ならびに知友後輩によって建立された。碑面の句は大正三年の作、筆蹟はその自筆短冊より得た。昭和三十八年十一月、飯田蛇笏文学碑建設委員会」
と、ある。
蛇笏翁の家
私が甲府から小黒坂行きのバスで、蛇笏翁の家を訪ねたのは、昭和三十八年十一月十日の日だった。
「石門の奥に景の長き家蛇笏はここに生れて死にき」
退院された竜太氏の所には、「雲母」の編集のため、広瀬直人・福田甲子雄氏等が見えていた。竜太氏は、この句について
「影は陰影であり、光である。この影に透明感と遠近感が出ている。これが表てに見えない技巧の冴えである。写実より想念である。大きな、大きな露に、秋だなーと感じとっている。これは父が大正三年の秋、薬瓶をさげて、八代の医者に目を見てもらいに行き、その帰り道で、八代と境川の境の浅川橋の近くの竜安寺のあたりで、南アルプスなどを眺めての感懐である」
と話された。
「飯田蛇筋句集」(山本健吉編) に「芋の露」の如き、やはり氏の俳句の真髄というべきであろう。
「連山影を正しうす」とは、また氏自身の心の姿を示している。氏ほど格調の高く、正しい俳句を作る作家は、現代はもとより古えにおいても珍しいものである。これは氏の気晩の強さをも物語るものである」と出ているが、注目すべきことばであろう。
蛇笏に
「くろがねの秋の風鈴なりにけり」
「秋の雪北岳たかくなりにけり」 などの名句もある。