韮崎市 永懐渠之碑 明治二三年(1890)(穂坂小学校校庭)
韮崎市 永懐渠之碑 明治二三年(1890)(穂坂小学校校庭) 永懐渠之碑(穂坂小学校校庭) 正面 篆額 従四位侍従前甲斐国主 乾徳公(柳沢吉里)永懐渠之碑 徒三位伯爵柳澤保申撰并篆...
View Article樋口一葉 苦労に追われた両親(山梨の人)
樋口一葉 苦労に追われた両親『人と旧跡 山梨県歴史の旅』堤義郎氏著 一部加筆 樋口大吉は、妊娠九カ月の妻あやめをつれて、山梨郡大藤村中萩原(塩山市中萩原)の家をあとに、仕事を求めて江戸へ出て行った。安政四年(一八五南七)のことで、大吉は二十八歳、あやめは二十二歳だった。...
View Article○歌人 小野貞樹。補任。仁寿1年(851)
○仁寿1年(851)1月11日【『文実』・『古今』】◆甲斐守…小野貞樹。補任。○仁寿2年(852)2月22日【『三格』】◆甲斐目…小野貞樹。在任。小野貞樹の解により、目一員が増員。…太政官符…応(まさ)に甲斐国に目一員を加え置くべきの事。…右彼の国守従五位下小野朝臣貞樹の解を得るにいわく、周防・阿波等の上国皆大小の目あり。しかるに此の国に至りては唯一人を置く。衆務斯れ多く、事に従うの人少なし。望み請...
View Article富士山火山 貞観6年(864)5月25日【『三代実録』】
○貞観6年(864)5月25日【『三代実録』】…駿河国言…正三位浅間大神大山噴火しその勢い甚だしく、十二、三代実録里四方の山を焼く。その火災の高さ二十丈(約60m)、雷あり、地震三度、十余日を経ても火勢衰えず。岩石を焦がし、嶺を崩し、火山灰雨の如し。煙雲深くして人の近寄るを得ず。富士山の西北本栖湖に溶岩流入する。溶岩の長さ、三十里、幅三四、四里。高さ二十二丈ばかり、火災ついに甲斐国の国境に達すと。(...
View Article◆甲斐権少目…歌人 凡河内躬恒 かひのくにへまかりける時道にてよめる
○寛平6年(894)2月28日【『古今和歌集目録』】◆甲斐権少目…凡河内躬恒。在任。…かひのくにへまかりける時道にてよめる……夜を寒むみおくはつ霜をはたひつゝ草の枕にあまたゝび寝ぬ…《雑録》…凡河内躬恒 …『南部町誌...
View Article紀貫之 壬生忠峯 甲斐を読む
昌泰1年(898)10月【『忠峯集』】…壬生忠峯…この頃、陽成上皇の使者として壬生忠峯が甲斐国へ下向する。…かひのくににまかる、まかりまうしに……きみがためいのちかひへぞわれはゆくつるてこほりちよをうるなり………たたみねがもとに 紀貫之【『貫之集』】……甲斐がねの松に年ふる君ゆゑに我はなげきと成りぬべらなり……
View Article在原滋春…甲斐守赴任。昌泰2年(899)かりそめのゆき甲斐路とぞ思ひこし・・・・
○昌泰2年(899)2月【『古今和歌集』】◆在原滋春…甲斐守赴任。…甲斐の国にあひ知りて侍りける人とぶらはんとてまかりけるを、みちなかにてにはかに病をしていまいまとなりにければ、よみて「京にもてまかりて、母にみせよ」といひて人につけて侍りける歌……かりそめのゆき甲斐路とぞ思ひこし今はかぎりの門出なりけり【『大和物語』】…この在次君、在中将の東に往きたるにあらむ、この子どもも人の国通ひをなむしける。心...
View Article凡河内躬恆(おおしこうちのみつね)かひのくににまかりける時道にてよめる
○寛平6年2月(894)【『古今和歌集目録』】◆甲斐少目…凡河内躬恆。甲斐権少目。(おおしこうちのみつね)【『古今和歌集』】…かひのくににまかりける時道にてよめる……夜を寒みおくはつ霜をはらひつゝ草の枕にあまたたびねぬ【『甲斐国志』】…拾芥歌人三十六人を載す。云、躬恆古伝云、不見甲斐権少目、淡路守、或本云、大井川行幸和歌書に書する所、散位。【『『甲斐国志』】…壬生忠岑…古今集序右衛門府生とあり、本州...
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